よみタイ

篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

第10回 「宣告」はないだろ。死刑じゃないんだから

 ホテル泊まりの通院は意外なメリットがあった。カンヅメ状態で異様なほど仕事がはかどるのだ。パソコンを持ち込み翌月末締め切りの原稿を書き、小池真理子さんとの対談原稿に直しを入れる(対談ではしゃべったことがそのまま活字になる、と思っている方もいらっしゃるが、きちんと整理されて話す小池さんはともかく私の方は支離滅裂。言葉足らずで使い物にならないので、編集者やライターさんが苦労してまとめてくださったものにさらに手を入れる)。

 だがゲラの受け渡しのためにロビーにやってきた若い男性編集者が、かなり気を遣われているのがわかる。「乳」「がん」とこの二つを前にしたら、若い男としてはやっぱり対応に困るだろうなぁと思う。
 対談は小池さんの小説『死の島』を取り上げ、「尊厳死」をテーマに語るものだった。小説の主人公が末期がん、ということから、手術を控えた私自身のがんについてもその中で話した。その際、編集者がまとめてくださった文章が「がんを『宣告』された」になっていた。
 世間のイメージと私自身が実際に罹患してみてのイメージが乖離かいりしていることを、その表現を見たときに痛感した。「宣告」という言葉の重みや深刻さ、絶望感は初期の乳がんにはない。「告知」さえ大げさだ。検査から治療までもっと実務的でシステマティックに、粛々どころか着々と進められていくのだ。とりあえず「宣告」は「診断」に直しておいた。

 入院二日前の受診では、執刀医Y先生、担当医のT先生、形成外科医のN先生の三人が一緒に診る。「神の手」プラス助手たち、の外科手術のイメージをくつがえすチームワークと役割分担の世界だ。
「ほぉ、きれいだな」
 幾度か開陳している我がおっぱいを見てY先生がおっしゃる。病変が表面には現れていない、という意味なのだが、「きゃ、嬉しい、ダンナだってそんなこと言ってくれませんよ」と受けたくなるのは、この先生が毎回繰り出す、さりげないボケトークのせいだ。
「以前に手術を受けたことは?」
 Y先生が尋ねる。
「はい。子宮筋腫です。十二、三年前」
「それに比べれば楽ですよ。麻酔薬も改善されていますし」
「そうなんですか!」
 
 最初の面談の折に、このY先生から希望するなら、カウンセリング等、精神的なケアも受けられる旨を伝えられた。また小池真理子さんは、対談終了後の別れ際に、「もし辛いことがあったら」とそっと精神腫瘍科サイコ・オンコロジーのクリニックの連絡先を手渡してくださった。だが、Y先生と若い女医さん二人の、まったく大げさでも深刻でもなく、すこぶるリラックスした応対には、「がん」という病気を特別なものとしてむやみに怖がり、不安がる気持ちを生じさせない雰囲気がある。前向きでも後ろ向きでもなく、まさに平常心で治療に向かわせる流れがあるのだ。

 ……のはずが、最後の麻酔医の先生との面談でガツン、と来た。
 ダンナと二人、上層階の手術室脇にある先生の控え室に通されて数分後、のっそり現れた大男のお医者様。もじゃもじゃの眉毛とひげ、頭髪を覆った恵比寿様のような透明な手術帽。よれっとした執刀着に、足にはビニール製のシューズカバー。
 たった今手術を終えたというより、血刀をぶら下げて戦場から戻ってきたばかりの武者、という風情。全身から消毒薬とも血の臭いともつかない臭気を立ち上らせている。びびりながら、アレルギーは? 普段の飲酒量はどのくらい? といった問診と説明を受ける。外科手術の現実とはこういうものなのだ、という身の引き締まる思いを私たちに残し、先生は忙しそうに別室に消えていった。

 入院前日、旅行用スーツケースを転がしてダンナと二人、築地のビジネスホテル「アマネク」にチェックイン。狭い机で『鏡の背面』の著者校正を行った後、夕刻、会議のために神保町へ。戻ってきて、アマネクの広い湯船にゆっくり浸かり、翌日の入院に備え、全身を入念に洗う。
 翌朝は早く目が覚め、再び『鏡の背面』の分厚いゲラに赤入れをする。できることなら手術前に最後まで終わらせたい。いくら楽な手術と言われても、万が一ということがある。途中でお腹が空いてコンビニに走り、朝ご飯を買ってくる。
 ダンナに勧めるが「ん……いい」と首を横に振る。
「さすが、わし、食えんわ」
 病気や手術の折に、一番、心配し不安になるのは患者本人ではなく家族や身近にいる者だ。たぶん本人の不安や恐怖心を、責任感とともに無意識に背負ってしまうからだろう。それを渡してしまった患者本人の気持ちは楽になる。
「退院したら、おいしいものを食べにいこうね」と、手をつけることもなく置かれたままのおにぎりを見下ろす。

 次回更新は12/26(水)です。

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。最新刊は『鏡の背面』。
撮影:露木聡子

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