よみタイ

加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

東と西(三)

 長襦袢の仕立て方も、関東と関西では違う。
 関東では通し衿仕立てと言って、首回りから裾まで、一本の衿を通した仕立て方をした。一方、関西仕立ては着物のようにおくみをつけて衿をつける。こちらは別衿仕立てとも呼ばれる。
 使う布の量が少ない関東仕立ては裾さばきが良いのだが、はだけやすいという欠点がある。関西仕立ては、深く衿が合うのではだけにくい。太っている人や胸の大きな人は、こちらのほうがいいらしい。
 だがこれも、差はなくなりつつあり、今の主流は関西仕立てだ。
 実際、昔、親が作った長襦袢は全て関東仕立てになっているし、ここ数年、私があつらえた長襦袢は、東京の呉服屋に頼んでも関西仕立てで仕上がってくる。
 慣れれば、どちらでも不便はないので、自分の好みや体形で選べばいいということだろう。
 ただ、関東仕立てがはだけやすいというのは面白い。
 鼻緒の長さもそうだけど、東京の人は着物や履物を肌から離すことにこだわりがないようだ。開放的と言ってもいいかもしれない。片や関西は、着衣で体を包み込むことに安心感を覚えるのだろうか。
 いや、着姿に関してはそうとも言えない。
 西では元々、長着は裾をすぼめずに、腰からまっすぐ下に落とすような着付けをしていた。この着方をすると、目視では裾が少し広がって見える。裾をすぼめて、下半身を緩い逆三角形にするのは東京風だ。
 この差は襦袢などと違って容易に目に付くために、昔は東西の人を見分ける手だてにもなったし、互いの悪口の種にもなった。
「唐傘みたいに裾を広げて」と言うのは東京人。「東京では下から雨が降るのか」とわらったのは京都の人だ。
 全国に展開する着付け教室の影響で、これまた画一化しているが 、つい最近までそういった陰湿な陰口は残っていた。怖い怖い……。
 ここまできたらもうひとつ。帯についても記しておこう。
 帯の巻き方にも、関東巻き関西巻きという言葉がある。
 帯を腰に巻いていくとき、時計回りにするか反時計回りにするか。その違いを関東巻き関西巻きという言葉で表すのだ。
 ただ、この言い方に関しては、実は統一されていない。
 なんとなく様子を眺めてみると、それぞれの地域の出身者が巻きやすいと思った方法を、出身地に近い言い方で呼んでいるような気もする。だからどちらでもいいし、下手に決めつけると異論を招く。
 ゆえに東西で分けはしない。が、今は反時計回りで帯を締める人が多数だ。
  着物は時計回りに合わせるので、本来ならば、帯も時計回りに締めたほうが崩れない。反時計回りだと、衿が開きがちとなり、下手をすると着崩れる。
 にもかかわらず反時計回りが多いのは、これが右利きの人にとって締めやすい方向だからだろう。
 まとめると、現在、鼻緒の長さと長襦袢の仕立ては関西風 、着付けそのものは裾つぼまりの関東風が主流となっているわけだ。
 情報と流通によって、東西の差はどんどん失せてしまっている。不毛な貶し合いはゴメンだが、文化がならされていくのはつまらないし、もったいない。
 けど、それでも厳然とした差が残るのが着物の好みだ。
 ――東と西の好みの差。
 これまた厄介な問題だけど、うまく言い表せないまでも、わかる人は多いだろう。
 両地域の差を考えるとき、私がいつも思い出すのは上村松園うえむらしょうえんと、以前にも登場した鏑木清方かぶらききよたかだ。
 京都で生まれ育った上村松園。東京神田生まれの鏑木清方。両者は共に明治から昭和まで活躍した日本画、美人画の大家だ。
 そのふたりが描いた少女の姿に、私は明確な美意識の差を感じ取る。
 上村松園の作品は「娘深雪むすめみゆき」。
 描かれた少女は、花が溢れるごとき馥郁ふくいくたる愛らしさを持している。
 たっぷりとした黒髪は下げ髪に結われ、鹿の子絞りの中振袖は珊瑚色。その袂と裾には鮮やかな翡翠ひすいの色で葦が描かれ、葉の一枚一枚に金色の水の輪が施されている。
 帯は大振りの縞を青藍の濃淡で染め分けて、そこに愛らしい八重菊が着物に揃えた珊瑚色で描かれる。白い半襟には多分、白の刺繍。中着は薄浅葱あさぎ。そして長襦袢は白地に深紅の横縞だ。
 作品の題材は浄瑠璃『生写朝顔話しょううつしあさがおばなし』で、深雪は日向国城主の娘。恋を知り初めたお姫様の初々しさと清楚さがすべてに漂っている。この絵を見て、何よりも感じるのは豊かさだ。
 鏑木清方は「一葉女史の墓」という作品で、娘を描いている。
 樋口一葉の墓石にもたれかかる美少女は、水仙を抱いているところから「たけくらべ」の美登利みどりとされている。
 美登利は吉原の遊女を姉に持つ、勝気な少女だ。華奢な首筋や手首には、思春期の少女特有の危うい色香と、痛々しいまでの透明感が宿っている。
 着物は深雪と同じく中振袖。白地に黒の三筋格子で、間を走る深紅の線が効いている。砂色の裾に袘綿ふきわたが入っているところを見ると、つむぎではなく小紋だろう。
 帯は見えない。袘と同じ砂色の地に煤竹色で縞を描いた、前掛けを締めているためだ。
 目につくのは長羽織だ。柳鼠という色か、青みを帯びた灰色の地に、これまた微妙な錆納戸さびなんどと覚しき色味で、伸びやかかつ手の切れそうな葦を描いて、間を写実的なとんぼが飛び交う。
 足元は、素足に黒漆のぽっくり。その鼻緒と、黒繻子をかけた襟元、袖から覗く緋色の襦袢のみが華やかだ。
 題材も違えば、身分も異なる娘の姿を並べて語るのはどうかと思うが、差はあからさますぎるほどだ。
 両作品共、着物の柄に葦を選んでいるのだが、「娘深雪」の葦から感じ取れるのは瑞々みずみずしい生命力。「一葉女史の墓」美登利のほうは、同じ生命力でも野性味がある。
 まったく、何もかも違う。
 殊に際立つのは、色選びだ。
 これは現在も変わらない。
 東京の銀座には、老舗を名乗る呉服屋が多く揃っている。
 呉服屋巡りをしていた当時、私は京都に本店を持つ店と、東京生え抜きの店の前に立った。
 確か、秋も終わりの頃だったと記憶している。
 そのときたまたま、ふたつの店は秋草を配した浅葱色の訪問着をウィンドーに飾っていた。
 最初に見たのは京都の店だ。私は純粋に綺麗な色だな、と感心した。そして次に東京の店の前に立ち、思わず目をしばたたいた。
 同じ色味だが、まったく違う。
 東京のそれは、少しだけだがくすんでいる。
 私は京都の店に戻った。東京を基準にするならば、こちらは一色華やかだ。
 友禅ならば、東京の老舗でも、西から取り寄せているはずだ。それでも、選ぶものは異なる。
 そして東京で育った私は、どうしても少しくすんだ東の色により強く惹かれてしまうのだ。
「西の着物は東アジアだよ」
 東西の差を、そう表現した人もいる。
 関西の色味や柄行きは、大陸や朝鮮半島の影響を多く受けているというわけだ。
 確かに色味や図柄、その華やかさにおいて、西の着物は中国や韓国の民族衣装と共通するものがある。もっとも、着物自体、起源のひとつに漢服を持つ。似ているのは当然だろう。
 では、東の好みは何なのか。
 日本から北を眺めれば、華やかなロシアの衣装に到達する。北海道アイヌの民族衣装は紺と白が印象的だが、ビビッドな赤や大胆な文様を思うと、ロシア的に見える部分もある。
 となると、際立つのは、関ヶ原を分けた関東から東北までの間となる。江戸好みと呼ばれるあの渋さは、一体どこから来たのだろう。どうして、ここまで違うのか。
 古裂こぎれの最たるものとして「襤褸ぼろ」と称されるジャンルがある。が、庶民の工夫によって作られた継ぎぎだらけの布ですら、東北の襤褸と近江のほうに残る襤褸では全く味が異なっている。
 髪型も違う。同じ島田髷でも江戸と京都、大阪ではそれぞれ形が違う。
 それから帯締めの好みも、お太鼓の大きさも、伊達締めの素材も……。
 もうやめよう。言い出すと本当に切りがない。

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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