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原作小説の映画化を楽しむコツは「言語化と視覚化」――小説と映画、二つの『トニー滝谷』を比較する

『トニー滝谷』の孤独

 20年近く前に市川準によって映画化された『トニー滝谷』(2005年)は、実は『ドライブ・マイ・カー』とよく似た設定を共有している。『トニー滝谷』は、愛する妻に先立たれて孤独を抱えるイラストレーターの話である。映画版で妻の葬儀の日に雨が降っている点も同じだし、その場面が原作小説にはない点も共通している。『トニー滝谷』には原作小説の文章をそのままナレーションに使っている場面がかなり多くあるが、ナレーターを務めているのは『ドライブ・マイ・カー』で主人公の家福を演じた西島秀俊である。抑制の効いた西島の声の演技は、村上作品と相性がいいのかもしれない(もちろん、いずれも監督の意向を反映した演技には違いなく、それぞれに趣は異なっている)。

『トニー滝谷』もまた、原作にはない視覚的、音響的要素によって映画を成立させている。最大の見どころは「孤独」を視覚化している点だろう。前回の記事で指摘したように、孤独は多くの村上作品に見出せる主要なテーマである。以下、『トニー滝谷』のストーリーを確認しながら、そのテーマを映画がどのように描いているかを見ていこう。

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 トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった。

(村上春樹「トニー滝谷」、『レキシントンの幽霊』文春文庫、1999年、121頁)

 原作の短編小説も映画もこの一文で幕を開ける。ただし映画は、この一文がナレーションされるまでのあいだにたっぷり二分ほどかけて、ほぼ映像だけでトニー滝谷の幼少期をスケッチ風に提示している。その後、彼の父親についての話題に移っていくのは両者に共通している。

 父親の滝谷省三郎は、太平洋戦争が始まる前に上海へ渡り、ジャズ・ミュージシャンとして戦争とは関係なく気ままな生活を送っていた。しかし、戦時中の胡乱な交友関係が祟り、戦後は中国軍に捕まって刑務所へと投獄されることになる。省三郎は、同じようにして捕まった人々が自動小銃で処刑される音を聞きながら、薄い毛布のほかには何も見当たらない空っぽの独房に身を横たえ、どうにか日々をやり過ごす【図1】。この構図は、映画の後半で息子のトニー滝谷の姿と重ね合わせられることになる。

【図1】
【図1】

 独房に閉じ込められている省三郎は、否応なく耳に入ってくる処刑の号令と銃声から逃れるように、口笛を吹いている。映画はこれらの音に坂本龍一によるピアノ音楽をくわえ、限りなく死に近接した省三郎の生々しい状況を際立たせている。

 こうした繊細な音響設計とともに、「一人二役」という仕掛けが映画の視覚面を支えている。父親の滝谷省三郎と息子のトニー滝谷を演じているのは、いずれもイッセー尾形である。この仕掛けによって、二人が親子であることを説得的に提示しつつ(同じ俳優なのだから姿が似ていて当然だ)、しかも、二人が同じ種類の「孤独」を抱えていることを視覚的に示唆しているのである。この親子の関係は、原作では次のように描写されている。

 二人とも同じくらい深く、習慣としての孤独に馴染んだ人間だったので、どちらからも進んで心を開こうとはしなかった。(中略)滝谷省三郎は父親に向いた人間ではなかったし、トニー滝谷もまた息子に向いた人間ではなかったのだ。

(村上春樹「トニー滝谷」、『レキシントンの幽霊』文春文庫、1999年、121頁)

 後半の文章は映画のナレーションとして採用されているが(最後の「のだ」は省かれている)、前半は省略されている。二人が「同型」であることはすでに視覚的に示されているのだから、ここで「孤独」という言葉を重ねる必要はない。

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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