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「有名人」と「無名人」の間に横たわる関係性の真実とは 第8回 「有名になる」価値の今昔事情

あってはいけない差別、使ってはいけない言葉。 昨今の「反・上下差」の動きは、2015年に国連加盟国で採択されたSDGsの広まりにより急速化した。 差別や格差を無くし、個々の多様性を認め横並びで生きていきましょう、という世の中になったかに見えるものの……。 貧困差別、ジェンダー差別、容貌差別等々、頻繁に勃発する炎上発言に象徴されるように、水面下に潜った上下差への希求は、根深く残っているのではないでしょうか。 名著『下に見る人』の書き手、酒井順子さんが、生活のあちこちに潜む階級を掘り起こしていく連載です。
イラストレーション:石野点子
イラストレーション:石野点子

第8回 「有名になる」価値の今昔事情

 子供の頃、近所に芸能人の夫妻が住んでいました。夫妻の娘・Aちゃんが同じ年頃だったのでよく一緒に遊んでいたのですが、ある時二人で近くの小さなスーパーに入ったところ、レジの女性が、
「あら、○○さんの娘さんね。これ、あげるから飲んで」
 と、Aちゃんにジュースを差し出したのです。
 一緒にいた私には、当然ながら何もなし。Aちゃんは私にもジュースを一口飲ませてくれたものの、その味は甘かったような、苦かったような……。
 Aちゃんとはごく普通に遊ぶ友達だったものの、その一件によって私は、彼女と私の間には大きな差があることを思い知らされました。親が有名人であることによって、彼女は何やら色々と得をしているらしい。そして無名人の子である私は、Aちゃんの真横にいても、まるで透明人間であるかのように扱われるのだなぁ。……と、一本のジュースによって私は、有名であることの威力のようなものを見せつけられたのです。
 有名人と無名人の間にある格差に穏やかならぬ気持ちを抱いた幼い私ではありましたが、しかし有名人を有名人たらしめているのは、他ならぬ無名人の視線です。東京に住んでいると、時に有名人の姿を目撃するものですが、
「あっ、貴乃花の息子(あくまで一例です)だ」
 などと察知した瞬間、周囲の無名人の顔は消えている。無名人は容易に無名人を差別するのです。東京に住む者としては、有名人を見かけても見ていないフリをすることに慣れてはいるものの、内心では「貴乃花の息子……」と、ちょっとホクホクしてもいるのでした。
「有名」という言葉からは、甘い蜜が滴り落ちるのであり、人々はまるで蟻のように、その蜜に惹かれてわらわらと集まってくるのでした。テレビでしか見たことのない人が近くにいるというのは妙に嬉しいことなのであり、その昔、スーパーのレジの女性がAちゃんにだけジュースをあげた気持ちも、今となっては理解できる。
 芸能人が旅や散歩をするテレビ番組では、飲食店の人が、
「これ、食べてって!」
 と、芸能人にソフトクリームだのタコ焼きだのといった売り物を無料で差し出すシーンをしばしば目にします。人気番組に登場するような芸能人はお金に不自由していないわけで、そのような余裕があるなら、経済的に困窮している人にあげればいいのに、と思うものの、芸能人を目の前にした飲食店の人がしたいのは、施しではない。
 芸能人はその時、
「いいんですか? 優しいなぁ」
 と言って、ソフトクリームなりタコ焼きなりを受け取ります。が、芸能人達も、お店の人が優しいから食べ物を差し出しているわけではないことは、よくわかっていることでしょう。
 お店の人は、「テレビに出れば店の宣伝になる」といった気持ちも、持っているのかもしれません。しかしそれ以上に、有名人という輝く存在に対する捧げものとか喜捨のような感覚で、
「これ、食べてって!」
 と言うのではないか。
 芸能人としては、とはいえテレビで有名性の特権を堂々と認めるわけにもいきません。
「優しいなぁ」
 と、相手の性格を褒めながら食べ物を受け取るのは、有名人特権をケムに巻くためなのではないか。
 有名な何かを目の前にすると、このように人の思考は一瞬、停止するのでした。
「これ、すごく有名なお店のケーキなんだって」
 と言われるとやたらと美味しく思えてくるし、海外旅行に行って、
「ココ、イチバンユウメイネ〜」
 と現地のガイドさんに言われると、思わず案内された土産物店に入ってしまう。有名であるということに、その価値を保証された気になって、自分の感覚で判断することをやめてしまうのです。
「有名」という冠は、多くの人がその価値を認めているということを周囲に知らせます。有名ブランド、有名旅館など「有名」の二文字を見聞きした瞬間、
「へぇ、すごいね」
 となるのは、有名さを裏付けるものが本当にあるのかを検証する手間が面倒くさいという面も、あるのでしょう。

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新刊紹介

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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