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頭が良いのが「上」で頭が悪いのが「下」という認識は、当たり前なのか 第11回 バカ差別が許される理由

あってはいけない差別、使ってはいけない言葉。 昨今の「反・上下差」の動きは、2015年に国連加盟国で採択されたSDGsの広まりにより急速化した。 差別や格差を無くし、個々の多様性を認め横並びで生きていきましょう、という世の中になったかに見えるものの……。 貧困差別、ジェンダー差別、容貌差別等々、頻繁に勃発する炎上発言に象徴されるように、水面下に潜った上下差への希求は、根深く残っているのではないでしょうか。 名著『下に見る人』の書き手、酒井順子さんが、生活のあちこちに潜む階級を掘り起こしていく連載です。
イラストレーション:石野点子
イラストレーション:石野点子

第11回 バカ差別が許される理由

 男女であれ人種であれ容姿であれ、様々な差別は「してはいけないこと」であるという認識が広まり、差別をなくすための様々な活動が行われています。しかしそんな中で一つ、世界中で容認され続けている差別がある気がして、それが「バカ差別」なのではないかと思うのでした。
 頭の良い人は頭の悪い人を下に見ても仕方がないし、それは当然の行為。頭の良い人がそうではない人の上に立つことによって社会は進歩していくのだ、という感覚が世にはあります。頭の良い人が世を動かすシステムを構築し、そうでない人はそのシステムで動かされる側、と言いましょうか。
「それは当たり前でしょう。 頭の良くない人が上に立っても困ってしまうし」
 と、多くの人は言いましょう。私も、首相がトンチンカンな発言をしたりする度に「バカじゃないの」などと言う訳で、トップに立つ人には、頭の良さを期待しているのです。
 しかし「身長の高低」や「顔の美醜」といったものと同様に、「頭の良さ悪さ」もまた脳の力ということで肉体的資質の一つであるとするならば、脳力の高い人が脳力の低い人を支配することにも抗議の声が上がってもいいのではないか、という気がするのです。
 たとえば肉体労働で得る賃金は、頭脳労働の賃金よりもぐっと低いのが世界的な趨勢です。頭脳労働をするには様々なスキルが必要なのだからそれは当然。肉体労働は誰にでもできる仕事だから、その対価は安いのだ、ということなのです。

 しかし、脳力の違いでたまたま、肉体労働が向いている人と頭脳労働が向いている人が存在しているだけなのに、両者の賃金格差が大きく開いてしまうというのは、これいかに。単純に消費カロリー量で考えるならば、肉体労働の方がずっと大変だというのに……。
 肉体労働者よりも頭脳労働者の方がたくさんお金をもらえるというシステムを作ったのは、脳力の高い人です。そして我々も、「そういうものだ」と思っているのであり、
「それっておかしいんじゃないの?」
 とくってかかる人は多くありません。
 肉体的な資質に恵まれた人は、その技量を磨いてプロスポーツ選手として成功すると、凡百の頭脳労働者が及びもしない高収入を得ることができます。とはいえ肉体的資質で高収入を得られる人は、全体のごく一部。さらには、イチローや大谷翔平など、スポーツ界における昨今の成功者というのは、ただ肉体的資質に恵まれているだけでなく、自分で考える力を持ったクレバーな人でもある。筋力と脳力の両方に恵まれていないと、スポーツ界での大成功も望めなくなってきました。
 体力にのみ恵まれている人が脚光を浴びることができるのは、せいぜい小学校の運動会まで。その後はどんどん脳力がものを言うようになってくるのであり、受験で計測されるのも、基本的には脳力の高低です。体育大学等を除けば入試科目に一〇〇メートル走や遠投は存在しないわけで、高等教育機関は、脳力が同程度の人達が集まって学ぶ場になっているのです。
 就職にしても、そうでしょう。キャリア官僚の、学歴的偏りを見よ。各省庁は、国の舵取りをする人材として脳力の高い人を欲しているのであり、勉強が不得手な人は、どれだけ熱望してもキャリア官僚にはなれません。キャリア官僚でなくても、一定レベル以上の大学出身者しかいない企業はたくさん存在するものです。
 企業が、容姿の良い人だけを採用していたら、それは容姿差別となります。が、脳力の高い人だけを採用しても、バカ差別にはなりません。学校でも企業でも、脳力の高い人を選ぶことは、正当な行為なのです。
 このように、バカ差別は差別だとは思われず、当然のこととされているのでした。運動能力の低い人がオリンピックに出られないことを「差別だ!」と言わないように、勉強ができない人がキャリア官僚になれないのは自明のことなのです。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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