2023.1.6
ワールドカップサッカーで再認識した「頭脳」や「権力」をしのぐ力とは 第7回 『ドラえもん』が表す子供社会格差

第7回 『ドラえもん』が表す子供社会格差
『ドラえもん』ののび太、ジャイアン、スネ夫の三人は、子供社会において格差が発生する要因とは何かを、よく表している存在です。
身体が大きいジャイアンは、肉体的な「力」を持っています。裕福な家の息子であるスネ夫が持っているのは、「金」。対してのび太は、金も力もなかりけり、だけれど色男ではなく、コミュニケーション能力が発達しているわけでもないという存在。そんなのび太はしばしば、ジャイアンからは肉体的な力を、そしてスネ夫からは金の力を見せつけられるのでした。
のび太は、「力」や「金」、はたまた「意欲」や「努力」等の不足によって生じる格差の前に、いつも呆然としています。するとドラえもんが様々な便利な道具をポケットから出して、助けてくれることになる。
子供むけのマンガや物語においてはしばしば、のび太達のように、仲良しグループを構成するメンバーがそれぞれ全く違う個性を持っています。様々な個性を発揮することによって互いに助け合ったり足を引っ張り合ったりしつつ、物語は進んでいく。
その中の一人として登場しがちなのは、「ハカセ」的なニックネームを持つ、博識ガリ勉キャラ。子供達が難局に遭遇した時、ハカセの知識や知恵によって問題が解決されて皆が助かる、となるわけですが、『ドラえもん』の特徴は、出木杉くんはいるものの、メインのキャラクターの中にその手の「ハカセ」的な子供が採用されていないところです。
実際、子供社会において勉強ができる子の存在感は、特別大きくありません。親や先生からは良い子として見られているものの、大人ですら、「勉強好きで地味な子より、勉強嫌いだけれど元気で明るい子の方が子供らしくて可愛い」と本当は思っていたりする。もちろん子供達の間でも、ただ真面目なだけの子は、あまり人気がないのです。
子供が「おお!」と瞠目するのは、やはり足が速い、身体が大きい、ボールを遠くに飛ばせるといった目に見える「力」に対して。そして、いち早く新しいゲーム機器を買ってもらえるとか、好きなおやつ買い放題といった「金」の威力を目の当たりにした時もやはり子供達は、「おお!」と目を見開くもの。
「勉強ができる」という能力は、テストの点数や通知表の数字にしか表れることがなく、いかんせん地味なのです。それが将来どう人生に効いてくるのかも、小さな子供にはまだ、よくわかりません。勉強ができる子供達がスポットライトを浴びて生き生きと輝くのはもう少し先、つまりは受験期を待たなくてはならないのでした。
藤子・F・不二雄先生は、その辺りの事情をよくわかっていたからこそ、のび太の最も親しい仲間としてガリ勉キャラを登場させなかったのだと思います。「力」を誇示するジャイアン、「金」の存在を匂わせるスネ夫もまた、のび太と同様に勉強は得意ではありません。『ドラえもん』は、子供達が偏差値で順位づけがなされる世に出る前の、ごく短い幸せな時間を描いた物語だと言えましょう。