2022.12.20
いつ産むの? 仕事はいつ辞めるの? 何人産むの? 第6回 最大級のトラウマは出産
孫のいるお友達が羨ましい
当時の私は、子どもを産むかどうかは、そのとき考えればいいやぐらいの気楽な暮らしをしていた。仕事もあったし、友人も多かったし、楽しいこともいっぱいで、夫と犬との暮らしを満喫していた。義母がいくらしつこく「仕事を辞めて出産を考えなさい」と電話をしてきても、会えば必ず「子どもは?」と聞いてきても、私も相当ずうずうしいタイプの女なので、適当に流していたし、留守番電話にして応答さえしなかった。しかし、適当に流すことが難しくなってきたのは、義母が母に電話をして、私に出産するよう説得を依頼したあたりだった。
母が突然電話をしてきて、なにやらモゴモゴと、「あの~、お義母さんから電話があってねえ。あなたが産まないもんだから、心配されているみたいねえ」と言ったのだった。義母の執着が普通ではないと気づいたのがこのあたりで、同時に、もしかしたら義父も同じように考えているのではと感じはじめていた。私に対する義父の言葉が、なんだか遠回しに「早く産め」と言っているように思える機会が増えたのだ。
母は「お義父さんとお義母さんの気持ちもわかるけど、出産は大変だし、あなたは心臓のこともあるから、自分で決めるのが一番。電話は適当につきあっておくから」と言ってくれた。母の言葉がありがたかったが、怒りも募った。なぜ関係のない母を巻き込むのか。それに、母に何か言われたからと言って、考えを変えるような娘に見えるのか? まだわからないっていうのか? 母からそんな状況を聞き、兄もかなり心配していた様子で、時折電話してきては「俺が話をしに行ってやるぜ!」と言っていた。お断りである。実はこの時期、兄も妻の両親と同居していて、彼なりに悩みがあったようなのだ。うれしそうに電話してきて、ああでこうでと自分のことばかり一方的に喋っては電話を切った。この時期の私の義父や義母に対する気持ちは、文字にしたらまずいレベルなので割愛する。
顔を合わせれば出産と言われ、孫のいるお友達がうらやましいと言われても白目で対応し、義母の習い事のクラスの生徒さんには「不妊症なんですってねえ」と言われても、私は自分の生活を守った。二人というよりも、周囲のプレッシャーをことごとく無視し続けた。そんな周囲の声よりも、仕事のほうが楽しかったし、やりたいこともたくさんあった。友人だってまだ出産していなかったし、バリバリに働いている人が多かった。結局、私が双子を授かったのが三十四歳で、出産は三十五歳のときだった。
母の悪い予感通り、産後、私の心臓は悲鳴を上げた。入院していた病院の担当医が循環器科での検査をアレンジしてくれ、検査が行われた結果、心臓が少し肥大していると診断され、入院が長引いた。足の浮腫がなかなか取れず、呼吸も苦しかった。とにかく、体の自由が効かず、気持ちが晴れない。双子が同病院内のNICU(新生児集中治療管理室)に入院していることも気がかりではあったが、自分自身の体調があまりにも悪くてそれどころではなかった。子どもたちは低体重だったものの大きな問題はなく、医師からもそれは聞いていたので、とにかく自分の体を休めることに集中しようと決めていた。出産直後、そのうえ心臓がギブアップしそうという状況。私からすると、まさに悪夢。それなのに! ここで私をよりいっそう苦しめたのが、義父と義母だったのだ。
どうしてもお見舞いに行きたい、双子を見たいと連日夫に電話をしてきて、根負けした夫は「見舞いに来させてもいいか」と私に聞いてきた。そのとき双子の滞在していたNICUは、親以外は入ることができない状態だったし、息も絶え絶えの私は誰にも会いたくなかった。特に義父と義母には会いたくなかった。それを聞いてくる夫も夫だと呆れたが、それが理解できるような人だったら、そもそも聞いてくるわけはないので……。
