2022.10.18
店なんてやめても生活できるような状態になりたかった 第4回 祖父の代から続くアルコールの負の歴史
母親であること、妻であること、そして女性として生きていくということ。
『兄の終い』『全員悪人』『家族』がロングセラー、最新刊『本を読んだら散歩に行こう』も好評の村井理子さんが、実母と義母、ふたりの女性の人生を綴ります。
もう少し優しい娘だったら、もう少し寛大な妹だったら
従姉妹が実家から持ち出してきてくれた、古い家族写真や遺品を、時間をかけて整理している。これも、一人残された私に与えられた仕事なのかもしれないと思いつつ、元気な頃の父や母、そして兄の姿を眺めながら、失われていた古い記憶の欠片を拾い集めるような時間を過ごしている。思い出すのは、うまく機能していなかった私たち家族の暮らしのことだ。写真をきっかけとして古い記憶に触れるたび、思わずため息が出てしまうが、不思議なことに心には温かさも灯る。こんなにも悲しい作業なのに、まるで、懐かしい彼らに再会できたような気持ちになる。逃げ続けてきた原家族との繋がりだが、失ってはじめて、私の中に間違いなくある彼らへの強い愛情を意識する。私だけではなく、きっと多くの人が経験することだと思うけれど、家族全員を見送る立場になるという困難を、大人として(そして子どもの立場として)どう乗り越えたらいいのだろう。その方法を聞いてみたい気がする。
なにせ、このいたたまれない気持ちをどうしたらいいかわからない。どれだけ時間が経ったとしても、わからないものはわからない。父は早くに亡くなってしまったし、兄との一筋縄ではいかない関係が災いして、晩年の母との間にあった誤解を解くことができなかった。兄とは彼の突然死という形でプツリと関係が途絶えてしまっている。あまりにもあっけない別れで、実感もない。私がもう少し優しい娘だったら、もう少し寛大な妹だったら、違う結果が導かれていたのかもしれないと思う日もある。心にぽっかりと開いてしまった穴は、母と兄の葬式で喪主を務め、兄のアパートの片付けをし、これから先は母が住んでいた実家を処分する予定だという事実があったとしても、なかなか埋めることができない。義務を果たしたとしても、このいたたまれなさが消えることはない。
とても不思議な気持ちになるのは、先祖の姿が写された古い写真を眺めるときだ。この作業を始めるまで、名前も知らなかった曾祖父や曾祖母、かなり近い血縁関係にある随分昔に鬼籍に入ったはずの親戚たちの姿を見るというのは、特別な経験だと思う。おおよそ百年前に撮影された、絵画のようにも見える写真の数々が、こちらに何かを訴えかけてくる。その厳めしい表情をじっと見つめていると、当時の彼らの静かな語りが聞こえてきそうだ。確かに私はこの人たちの子孫になるわけだけれど、当時の生活は想像もつかない。でも確かにそこにある親近感。過去から真っ直ぐ現代まで続く時間軸のうえに存在した彼ら。私たちは確かに繋がっている。こんな気持ちははじめてだ。
母は満州生まれで三歳のときに日本に引き揚げてきたそうだが、その頃の写真を見ると、母方の祖父母にはまったく笑顔がない。状況を考えれば笑顔も出なかったのだろうが、そんな混沌の時代に家族全員で写真撮影をした夫婦の気持ちを想像すると、当時のギリギリの生活が窺えるように思う。家族を必死に守りたい、一緒に過ごしていた証拠を残したいという気持ちがにじみ出ているようにも見える。祖父は私が小学生のときに亡くなっているが、彼に当時の話を聞かなかったことが残念だ。祖父母は引き上げてから多くの苦難を乗り越えて、母を含む子どもたちを育て上げたと聞いている。