2023.3.10
日本で「タイ料理ブーム」がもう来ない理由
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。
前回に続き、華々しく登場し急速に浸透した「タイ料理」について考えます。
気が付けばタイ料理は日常になっていた
1980年代中頃に彗星のごとく登場し1990年代に急激に店舗を増やしたタイ料理は、当時の多くの人々に衝撃を与えました。強烈な辛さ、独特なハーブの香り、ココナツやタマリンドのエキゾチックな味わいは、和食はもちろん洋食や中華とも全く異なる、まさに新しい文化だったのです。
それでいて、調味の中心となるナンプラー(魚醤)は日本人にとってもなぜか郷愁を誘われる味でもあり、ちょっと極端なまでに甘酸っぱい味付けにはある種の人懐こさもありました。完全に未知の新しい味わいであるにもかかわらず、意外なほど馴染みやすいタイ料理は、若者を中心に多くのファンを獲得したのです。そして僕もその中のひとりでした。
僕がタイ料理の虜になった1990年前後は、まだギリギリ、バブル時代でした。当時の若者世代の価値観は大きくその影響を受けていたと思います。どういう青春が理想なのか。それは、「DCブランド」の服に身を包み、おしゃれな「カフェバー」やゴージャスな「ディスコ」に夜な夜な集い、「高級レストラン」を予約してデートして……。そんな人々が、ヒエラルキーの最上位に君臨している、という世界観です。
実際のところそんな特殊な生活を謳歌している若者が当時どれほどの割合でいたかはともかくとして、若者たるものそれを目指さねばならぬ、みたいな強迫観念はどこかに抱いていたと思います。
しかし、地方から出てきて一人暮らしを始めた大学生の自分の暮らしは(当然のことながら)、そういう世界とは程遠いものでした。何ならかすりもしません。そういう煌びやかな世界にいざなってくれる友人もいません。そもそもお金がありません。しかしそんな中で僕は、別方向に活路を開きました。
ボロボロのジーンズと古着のネルシャツはニルヴァーナのカート・コベインみたいで、「DCブランド」よりむしろオシャレじゃん。ドレスコードのあるディスコに行かなくても、音楽好きが集うアンダーグラウンドな「クラブ」の方がずっと楽しいじゃん。カフェバーで無為な時間を過ごすより、家でゴダールや小津安二郎の映画をレンタルビデオで観て吉田戦車の漫画を読む方がずっと文化的じゃん。そして世の中にはそんな価値観に共鳴してくれる人がきっといて、その中の誰かが「彼女」になってくれるかもしれないじゃん……。
そんな文脈の中に「タイ料理」は実にすんなりとはまりました。高級レストランを無理して予約するより、僅かなバイト代を握りしめてふらっとタイ料理店に行く方が、遥かにリラックスできてなおかつエキサイティングな体験を楽しめるじゃん。もしも運よく彼女ができそうになったら、そんなタイ料理店でデートすればいいじゃん……。
それは単に当時の僕のパーソナルなルサンチマンというだけではなく、「90年代のサブカルチャー」を取り巻く空気感の典型的なひとつだったのではないかと思います。バブルの終焉と歩調を合わせるかのごとくタイ料理を中心とするエスニック料理が盛り上がったのには、こういう時代背景もあったのではないでしょうか。