2023.2.24
タイ料理が切り拓いた、和・洋・中以外の「第4の選択肢」
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。
前回までは4回にわたり、日本におけるフランス料理の現在地について考察しました。
今回からは、ところかわって「タイ料理」について。
かつてタイ料理はパラダイムシフトだった
パラダイムシフト、という言葉があります。その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や価値観が劇的に変化することを言います。
僕にとってタイ料理は、まさにこのパラダイムシフトでした。そしてそれは、決して僕だけでなく、多くの人々にとってもそうだったのではないかと思っています。かつてタイ料理によって、少々大袈裟に言えば「人生が変わった」人は決して少なくないのではないでしょうか。
第一次エスニックブームと言われる現象が起こったのは1980年代中頃。これはその少し前からの「激辛ブーム」や「海外旅行ブーム」が導いたものではないか、と、食文化研究家の阿古真里氏は指摘しています。そのブームを牽引したジャンルの重要なひとつがタイ料理でした。
僕自身がタイ料理と出会うのは、そのもう少し後、1990年頃のことです。当時僕は京都に住んでおり、大学生になったばかりでした。阿古真里氏によると、『Hanako』などの女性誌や『dancyu』などのグルメ誌が盛んに取り上げたこともきっかけとなって、タイ料理店が「雨後の筍のように」全国に増えていったという、まさにその時期と重なります。
タイ料理がパラダイムシフトだった、と思う理由は、まず味そのものにありました。
まず何と言っても「辛い」。もちろん辛い料理自体はそれまでにもいくらでもあったかもしれませんが、その度合いや、特に、料理に当たり前のようにさりげなく潜んでいる生の唐辛子を直接口に入れてしまった時の衝撃は、明らかにそれまで経験したことのないものでした。
トムヤムクンに代表されるように、辛さと同時に「酸っぱさ」が襲ってくるというのも、案外、未知の体験でした。その酸味が酢ではなく柑橘果汁によるものだったことも、その印象を新鮮なものにしていたと思います。
ナンプラー(魚醤)の味わいも、やはり初めての体験でした。ただしこの味わいは、新鮮であったと同時に、なぜか郷愁を掻き立てられる、日本人の自分にもどこかスッと馴染むおいしさでもありました。このことは、タイ料理がすんなりと日本人に受け入れられた重要な要素だったのではないかと思っています。日本人は、醤油のような発酵調味料にも、魚介のうま味にも、骨の髄から慣れ親しんでいたからでしょう。
ココナツミルクを料理に使う、というのも驚きでした。ココナツの風味自体は誰もが知るところだったと思います。しかしタイ料理普及以前、それは甘いお菓子のフレイヴァー、ないしは日焼け止め(コパトーン)の匂いでしかなかったのです。
そんなココナツミルクが重要な役割を果たす「タイカレー」と、長粒米であるジャスミンライスとの、驚くべき相性の良さもまた衝撃でした。その少し後である1993年、たまたま国内の米不足から緊急輸入された「タイ米」が一般層に蛇蝎の如く嫌われていた中で、タイ料理を通じてそのおいしさを理解していた人々がそれを擁護していた温度差は、今でも語り草となっています。