よみタイ

タイ料理が切り拓いた、和・洋・中以外の「第4の選択肢」

日本ほど「外国料理」をありがたがる国はない…!
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。

前回までは4回にわたり、日本におけるフランス料理の現在地について考察しました。
今回からは、ところかわって「タイ料理」について。

かつてタイ料理はパラダイムシフトだった

 パラダイムシフト、という言葉があります。その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や価値観が劇的に変化することを言います。
 僕にとってタイ料理は、まさにこのパラダイムシフトでした。そしてそれは、決して僕だけでなく、多くの人々にとってもそうだったのではないかと思っています。かつてタイ料理によって、少々大袈裟に言えば「人生が変わった」人は決して少なくないのではないでしょうか。

 第一次エスニックブームと言われる現象が起こったのは1980年代中頃。これはその少し前からの「激辛ブーム」や「海外旅行ブーム」が導いたものではないか、と、食文化研究家の阿古真里氏は指摘しています。そのブームを牽引したジャンルの重要なひとつがタイ料理でした。
 僕自身がタイ料理と出会うのは、そのもう少し後、1990年頃のことです。当時僕は京都に住んでおり、大学生になったばかりでした。阿古真里氏によると、『Hanako』などの女性誌や『dancyu』などのグルメ誌が盛んに取り上げたこともきっかけとなって、タイ料理店が「雨後のたけのこのように」全国に増えていったという、まさにその時期と重なります。

 タイ料理がパラダイムシフトだった、と思う理由は、まず味そのものにありました。
 まず何と言っても「辛い」。もちろん辛い料理自体はそれまでにもいくらでもあったかもしれませんが、その度合いや、特に、料理に当たり前のようにさりげなく潜んでいる生の唐辛子を直接口に入れてしまった時の衝撃は、明らかにそれまで経験したことのないものでした。
 トムヤムクンに代表されるように、辛さと同時に「酸っぱさ」が襲ってくるというのも、案外、未知の体験でした。その酸味が酢ではなく柑橘果汁によるものだったことも、その印象を新鮮なものにしていたと思います。
 ナンプラー(魚醤)の味わいも、やはり初めての体験でした。ただしこの味わいは、新鮮であったと同時に、なぜか郷愁を掻き立てられる、日本人の自分にもどこかスッと馴染むおいしさでもありました。このことは、タイ料理がすんなりと日本人に受け入れられた重要な要素だったのではないかと思っています。日本人は、醤油のような発酵調味料にも、魚介のうま味にも、骨の髄から慣れ親しんでいたからでしょう。
 ココナツミルクを料理に使う、というのも驚きでした。ココナツの風味自体は誰もが知るところだったと思います。しかしタイ料理普及以前、それは甘いお菓子のフレイヴァー、ないしは日焼け止め(コパトーン)の匂いでしかなかったのです。
 そんなココナツミルクが重要な役割を果たす「タイカレー」と、長粒米であるジャスミンライスとの、驚くべき相性の良さもまた衝撃でした。その少し後である1993年、たまたま国内の米不足から緊急輸入された「タイ米」が一般層に蛇蝎だかつの如く嫌われていた中で、タイ料理を通じてそのおいしさを理解していた人々がそれを擁護していた温度差は、今でも語り草となっています。

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新刊紹介

稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)など。近著に『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)。

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