2023.1.27
「フランス料理」――その偉大すぎる固定概念が生む悲劇とは?
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。
前回は、フランス料理の「敷居の高さ」をめぐるエピソードでした。
今回は、日本人が持つ「フランス料理」へのイメージと、その自縄自縛の現状について考察します。
フランス料理における、作り手とお客さんのせめぎ合い
2000年前後あたりから、巷には飾らない庶民的なフランス料理を気軽に楽しめるカフェやビストロが少しずつ増えていき、僕はすっかりそれに夢中になっていました。エスニック、イタリアン、和食といったものに加えて新しく、強い興味を引かれる実に魅力的なジャンルが現れた、という感覚でした。
その当時、一時期足繁く通った店があります。その店は、当時の僕の職場があった某地方都市にありました。聞くところによると、郊外にある老舗高級フランス料理店の支店とのことでした。
その店に行くのは、主にランチタイムでした。日替わりで何種類かの料理があり、それに「ライスまたはパン」が付くという、古式ゆかしき「洋食屋」のスタイルではありましたが、その料理は、コンフィやワイン煮込み、あるいはシンプルに焼いた肉など、典型的なビストロ料理。コースではなく洋食屋スタイルでの提供だったのは、ビストロという業態の黎明期、しかも地方都市のオフィス街ということで、精一杯そこに忖度していたということでしょう。
その代わり、そこにプラス料金で付けられるサラダが何種類か用意されていました。そして僕は、そのサラダのどれかを必ず追加していました。なぜならそこには、まさに僕が求めていたものがあったからです。どういうことか。これにはちょっと説明が必要です。
そのサラダの中に2つ、特にお気に入りのものがありました。「パテカンサラダ」と「鯖サラダ」です。パテカンサラダは要するに「パテ・ド・カンパーニュのサラダ」の略であろうことは容易に察することができました。パテ・ド・カンパーニュは豚肉や豚脂、レバーなどを混ぜて焼き固めた冷菜。昔も今もビストロ前菜の定番中の定番です。
メニュー名から最初は、生野菜の上にこのパテのスライスでもトッピングしたものかと予測しましたが、実はそんな「生やさしい」ものではありませんでした。それはあくまで分厚く切り出されたパテを主役に、サラダはあくまで付け合わせとして添えられたもの。つまり現代のビストロなら単に「パテ・ド・カンパーニュ」という名称で供されるべき、オーセンティック極まりない無骨な一皿だったのです。
それをあえて「パテカン」という、職人同士の符牒めいた呼び名を採用するという横紙破りを断行してまで「サラダ」と言い切ったのには、明確な理由があると思います。当時その地では「前菜」と「メイン」を組み合わせるビストロのスタイルは容易には受け入れられまいと考えたのでしょう。しかし「サラダ」であれば、サイドディッシュとして気軽に追加してもらえるかもしれない。そう考えたのだと思います。
「鯖サラダ」の方は、それに輪をかけて極端でした。それは、フライドポテトに焼いた鯖の大きな切り身を乗せて、酸味のあるソースをかけた温かい料理。生野菜はカケラも使われていません。確かにじゃがいもは野菜と言えば野菜であり、そこにドレッシングめいた酸味のソースがかかっていれば、ギリギリ、サラダと強弁できなくはない。しかしそれは強弁以外の何物でもありません。
とにかく僕はこの2つの料理が最高に気に入りました。いかにもフランス料理らしく力強いその味わい自体もさることながら、この「サラダと言い切って騙してでも本場式の前菜を食わせてやろう」という、ロックな思想に感銘を受けたからでもあったと思います。
しかし、その店のそんなストロングスタイルを歓迎したのは、僕を含めてもごく少数だったのかもしれません。そのうちその店は、ハンバーグランチやパスタランチを提供するオフィス街にありがちな普通のメニューに方針変更し、そしていつのまにか無くなりました。