2023.3.24
日本のロシア料理店が醸し出す、古きよき「外食」の特別感
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。
前回までは2回にわたりタイ料理編をお届けしました。
今回は、日本における「ロシア料理店」の存在について考えます。
ロシア料理店は昭和のタイムカプセル
僕が初めてちゃんとロシア料理を食べたのは10年くらい前のことだったと思います。
その店は駅前のメインストリートから一本入った雑居ビルの4階にありました。日本でもっとも古くからやっているロシア料理店のひとつ、という触れ込みでしたが、そもそも日本で新規にロシア料理店が開店するなんていう話はついぞ聞いたことがなく、ロシア料理店はそのほぼ全てが「古くからやっている店」です。
心なしか軋むような音がする古いエレベーターでそのフロアに上がると、そこはびっくりするくらいの「昭和」でした。店頭には大きなガラスのショーケースがあり、食品サンプルが並んでいます。昔懐かしいデパートの大食堂を彷彿とさせます。もちろん大食堂とは違って、そこには「ロシア料理」だけが並んでいます。どれも実にシンプルで平べったい盛り付け。それが時の経過で色褪せ気味なこともあって、現代的な意味での「おいしそう」からは程遠いビジュアルでした。「映え」とは正反対の世界観。
しかし、そんなことで怯む僕ではありません。こういう店にこそ人々が見逃しがちなここだけの美味があるはずだ、そう自分に言い聞かせて、初志貫徹、お店に入りました。
その日は、その店で一番スタンダードなコースを注文しました。内容は、スモークサーモン、ボルシチ、きのこの壺焼き、ピロシキ、牛肉の串焼き、ロシアンティー。どうでしょう? 普段ロシア料理に馴染みのない大方の日本人にとっても、これは容易にイメージできるラインナップなのではないでしょうか。
そしてその時の感想をあえて一言で語るなら、それは「炭水化物責め」でした。どういうことか……。
ボルシチと共に、パンが二切れ供されました。いわゆる「黒パン」です。みっしりと堅く重量感も満点で、口中の水分を瞬時に干上がらせるそれは、食べても食べてもなかなか減りませんでした。壺焼きは、きのこのクリーム煮にパン生地をかぶせてオーブンで焼いた料理です。このパン生地がこれまたみっしりと分厚く、スプーンで無理やり崩して壺の中に落とすと、その存在感はクリーム煮を完全に覆い隠しました。ピロシキは、握り拳大の揚げパンの中央に親指大の肉ダネが、実に慎ましやかに埋もれているものでした。
ひたすら各種のパンと格闘し続けねばならない、しかもそれらはどれもみっしりと堅くて巨大。それがロシア料理の第一印象でした。
その店は、今はもうありません。数年前に閉店してしまったのです。ふんわり、ジューシー、まったり、といった現代日本人の嗜好と対極にあったその料理が淘汰されてしまったことは、「宜なるかな」ではあるような気もしつつ、寂しさも感じます。なぜあのような料理を、こだわって出し続けていたのか、今に至るまで僕の中で解明しきれていない謎です。
昭和の日本人は、少量のおかずで大量の米をかっ食らうのがあくまで基本だった。だから少量の肉や野菜と共に大量のパンが供されるようなコースも当時は普通に受け入れられていたのではないか、というのが個人的な仮説のひとつです。しかし当時だってそういう店ばかりではなかったことも想像に難くなく、この仮説は我ながら説得力が希薄です。
もうひとつの仮説はやや突飛です。その店は開業当時、共産主義系文化人のサロンでもあったらしいのです。ブルジョア的な美食を良しとせず、あくまでロシア民衆の日常食に近いものを提供すべしという崇高なポリシーがそこにあったのではないか? そんな想像もしました。しかしそれも真相は今や闇の中です。