2021.9.11
「産まない」選択はできない。セックスレスに傷つき、不倫に走った妻が下した最後の決断(第17話 妻:麻美)
「私、赤ちゃんが欲しい」
康介と離婚するのは、恐らくそう難しくはないと麻美は思っている。
弁護士なら昔のツテでいくらでも見つかるし、離婚に必要な材料もその気になれば集められるだろう。夫からの苛立ちも日に日に増しているように感じるし、大袈裟なことはしなくても、康介も案外アッサリと離婚に応じるかもしれない。そもそも夫婦関係はとっくに破綻しているのだから。
子どものいない夫婦の離婚なんて、未婚カップルが別れるのとあまり変わらないはずだ。とにかく一度、本人に切り出してみないことには何も始まらない。
「……そんなに良かった?」
ぼんやりと薄暗い天井を見つめ考えに耽っていた麻美は、隣に寝そべる晋也の一言で我に返った。何も答えずに恥じらって見せると、彼は強く麻美を抱き寄せる。
「愛してるよ」
当初は晋也という男をそれほど信用していたわけではないし、息苦しい夫婦関係の逃げ道と割り切っていた。しかし彼と過ごす時間は思いのほか居心地が良く、正直なところ、何より身体の相性が抜群だった。
自分がこれほど「女」に戻ったのは実に久しぶりのことで、つい気持ちまで引きずられてしまう。
「麻美とこんな風になったら、もう他の女なんて目に入らないよ」
晋也も晋也で、麻美に執着を見せるようになった。帰り際はいつも拗ねるような態度を見せ、「いつ離婚するの?」「毎日一緒にいたい」などと甘美で際どいセリフも平然と口にする。
ひょっとしたら、結婚相手を間違えたのかもしれない。そんな考えも何度か頭をよぎった。
「ねぇ」
太い腕に包まれながら、上目遣いに彼を見つめる。
「なに?」
優しく頬を撫でられ、つい気が緩んだ。このとき麻美は、康介への不満や出産への焦りでいつもの冷静さも欠けていたのだ。
「私、赤ちゃんが欲しい」
ベッドの上で、その声は妙に鋭く響いた。
「…………」
そして次の瞬間、麻美は自分がいかに愚かな勘違いをしていたか悟った。言葉に詰まった晋也の顔は明らかに動揺していて、怯えるように瞳を泳がせたのだ。
「な、なんてこと言うんだよ麻美……。本当に麻美は小悪魔っていうか、そうやって男をその気にさせて惑わすんだよな」
先ほどまでのムードは一転、晋也はわざとらしいほど陽気に饒舌になる。
彼は一通り当たり障りのないことを一人しゃべり続けると、とうとう身体を起こし「部長に一件メールを打ってくる」とベッドを離れた。
麻美はすっかり冷えた頭で、裸のままバスルームに足を運ぶ。
立場上、これまで晋也のプライベートに立ち入ることはしなかったが、衝動に駆られるまま手当たり次第に戸棚や引き出しを開けた。
安物のピアス、小分けのスキンケア、金色に近い髪の毛。収穫はそんなもので、女にマーキングされていることは晋也本人も気づいていないかもしれない。その程度の女が複数いるのだと麻美は予想した。
――やっぱり、男なんてアテにならない。
寝室に散らばった衣服を身につけながら、麻美は意図的に心を閉じる。
こんな馬鹿げたことで傷つくなんて、時間の無駄だと自分に言い聞かせながら。