2021.7.31
「損する離婚はしたくない」〜妻に1,000万円を奪われた夫の、狡猾な戦略(第14話 夫:康介)
高収入夫の、狡猾な離婚プラン
『こうちゃん。私、こう見えてすごく傷ついてるの』
妻はわざとらしく悲しげな表情を浮かべ、浮気の事実を知っていると脅しをかけてきた。
不意打ちであったから、言われた瞬間は不覚にも動揺した。しかしすぐに冷静になり、麻美は何の証拠も掴んでいないはずだと踏んだ。
康介は何につけてもマメで、瑠璃子とのLINEも読んですぐに消している。形に残る証拠を家に持ち帰ったことなどないのだ。
しかしそれでも、少なくとも現段階においては、事を荒立てるのは得策ではないと考えた。安易に離婚を仄めかすと、それなりの収入がある夫にとって地獄の始まりとなるからだ。
慰謝料、財産分与、婚姻費用の支払い……麻美は専業主婦で稼ぎがないから、康介ばかりが負担を強いられることになる。麻美はもともと康介の勤める弁護士事務所の秘書であったため、下手に知識があるぶん要注意だ。
もしも康介が好戦的な態度を取ったなら、麻美の方も本気で不貞の証拠を掴みにくるだろう。探偵などつけられたらたまったものではない。
「先生……何を考えてるの?」
ハッと我に返ると、瑠璃子が真上から康介を覗き込んでいた。
慌てて笑顔を作り「いや、別に」と誤魔化す。続けて「仕事のことだ」と言いかけたところで、熱情的に唇を塞がれた。
「このまま時間が止まればいいのに。私……先生とずっと一緒にいたい」
何度も舌を絡めた後、瑠璃子が恍惚とした表情で呟く。
普段からエモーショナルな記事を執筆しているせいか、瑠璃子はこういう時、妙に芝居がかったセリフを言う。さらには少女のように真っ直ぐな瞳で見つめてくるから、ロマンチストとは程遠い康介でさえ、つい我を忘れて「俺も」などと応じてしまうのだった。
「先生は、私を選ぶべきだったのよ」
答えに困る際どい発言も、何度も聞かされるうちに慣れてきた。実際、麻美と離婚したっていいと考えるようになったのも、瑠璃子のこのセリフがきっかけだった。そうか、自分が選択を誤ったのだと思えば諦めもついた。
結婚は博打だ。こうなってみてよくわかる。
結婚前にどれだけ吟味したところで、相手のすべてを知ることなどできない。頑丈に覆い隠された鎧が外れ、本性があらわになるのは、結婚して何年も経った後なのだから。
ともかく、今や瑠璃子との関係は予想外に深まり、簡単に終わらせることが難しくなった。
麻美にも他に男がいるのは確実だが、互いの粗探しを始めたところで泥沼にハマるだけ。しかも抜け目ない彼女はここのところ一切の夜遊びを辞め、むしろ康介の好物を作るなどして良妻を演じている。尻尾を掴むのは困難だろう。
ならば麻美の思い通りに1,000万円を渡し、いったんは場を丸く収めた方がいい。それが康介の出した結論だった。
損する離婚は絶対にしたくない。別れる場合は円満離婚、一択だ。