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篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

前回まではこちら→https://yomitai.jp/series/gangakita/

気管挿管実習を断った日

介護のうしろから「がん」が来た! 第27回

 九月初め、ティッシュエキスパンダーを取り出しシリコンを入れる手術の日程が決まった。三ヵ月後の十二月十日。いよいよ再建の仕上げだ。
 今回は乳腺外科ではなく形成外科の手術でもあり、まずは同じ聖路加病院の形成外科外来で診察を受ける。
 外来の先生の他に、治療チームのN先生も加わり、入院日数その他の説明がある。基本は一泊二日。
 胸の中にモノを入れたり出したりの荒事をする割にずいぶんと短い。四日ほどはドレーンが入ったままになるので心配ならその間、入院もできるように病室は確保しておいてくれるとのことだが、一応退院することにする。
 
 なお、私の乳房再建はシリコンを入れた状態で完了となる。乳輪と乳首の再建はしない。
 リカちゃん人形のおっぱいを思い浮かべていただければわかりやすい。
「まあ、のっぺらぼうの丘ができるだけだけどね」
 電話で小池真理子さんに話すと、真理子ねえさんはけらけら笑った。
「いいじゃないのよ。今さら、だれに吸わせるわけでもなし」
 まさにその通り。女は灰になるまで、の虚構をしっかり見抜いていらっしゃる。

 仕事に遊びに母の面会にと飛び回っているうちに秋は深まり、手術一ヵ月前の診察とオリエンテーションがあった。
 一通りの健康診断の後、麻酔科医との面談があり、その場で、救急救命士の方の気管挿管実習があることを知らされた。麻酔医立ち会いのもとで実習生の練習台になるわけで、その程度のボランティアなら患者として引き受けて当然なのだが、私はすくみ上がった。
 別の病院で入院中に、採血の際、若い看護師さんに何度も針の刺し直しをされたときも「大丈夫だよ。頑張ってね」と余裕をカマしていたものだが、気管挿管だけは怖い。

 数年前、三十も年下の友達である救急救命士のK美ちゃんが、仲間の麻酔科医に深刻な表情で相談していたことを思い出したからだ。
「気管挿管って、どうやったらうまくいくんでしょうかね」
「それは練習を重ねるしか……」
「全身麻酔の患者さんに入れながら、ごめんなさい、ごめんなさい、と心の中で謝ってるんですよ」
 そのときは、ふぅん、K美ちゃん、若いのにたいへんな仕事をしているんだ、偉いなぁと感心しただけで、やられる患者の身の上に思いを巡らせることなんかなかった……。

 青くなっている私の前に救急救命士の青年が立つ。
「我々がそばについているわけですから」と麻酔科の先生が有無を言わせぬ口調。
「あなたが道を歩いていて倒れたとして、この人たちの気管挿管で助けられることだってあるんですよ」と傍らの年配の看護師さん。「はぁ、おっしゃる通り……」
 これで断るなら人間やめます、よね。ぶるぶるしながら承諾書用紙を渡される。すでに救急救命士さんのお名前が書かれ、印鑑も押されている。入院当日までに私の署名捺印なついんの上、他の書類とともに受付に出すらしい。

 

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。
撮影:露木聡子

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