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学歴の魔法は入社まで? インキャ京大生が就活から学んだこと【学歴狂の詩 第8回】

受験での負けを就活で取り戻す努力より、受験で勝つための努力の方が効果が高い

 学歴──それは、就活段階では異様なほどの力を発揮する。もしもあなたが誰もが知るトップクラスの大企業に入りたいというのなら、基本的に旧帝大や早慶を目指す必要があると思っておくべきだろう。はっきり言って、MARCH関関同立クラスの大学に入り、そこから血の滲むような就活対策によって上位大をなぎ倒す、というストーリーは、あまりにも難易度が高い。高すぎる。いや、無理と思っておいた方がいい。受験での負けを就活で取り戻す努力よりも、受験で勝つための努力の方が不確定要素が小さく、また効果も大きい。

 各企業は表向きには学歴主義を隠すので、もしかすると「難関大でなくてもなんだかんだチャンスはあるだろう」と思ってしまう人もいるかもしれないが、学歴の威力はいくら大きく想定してもしすぎるということはない。

 ここまで読んでくださった方は気づいていると思うが、私は今回、MARCH関関同立よりも下の大学について話していない。なぜなら、私の参加した就活においてほぼ存在が確認できなかったからである。トップクラスの大企業の総合職というものに手を伸ばそうとするなら、ギリギリの最低ラインがMARCH関関同立なのだ。それより下の偏差値の大学に入った場合、戦略的には大企業を狙うのをやめて別の活路を見いだすことを勧めたいのだが、具体的に話すと何かヤバい気配がしてきたので、それに関してはもし私がトチ狂ってオンラインサロンでも始めることがあればそこで詳しく話そうと思う。

 今回の話はもちろん就活の段階における話であり、いざ仕事が始まれば、学歴などは屁の突っ張りにもならない。屁の突っ張りにもならないものを就活の大きな基準として用いてしまっている企業の採用方法に難がある、と言いたくもなるのだが、短期間で大量の学生をさばかねばならない中では仕方のないことでもある。現行の就活システムは優秀な学生を取りこぼし続ける運命にあるが、どこも採用にそれほどコストをかける余裕はないだろうから、今後大きな改革があるとは私には思えない。採用での学歴の重要性は、今後もそれほど落ちることはないと見ていいだろう。

 最後になるが、もちろん大企業に入ること・お金を稼ぐこと=勝利ではない。本当にやりたいことがある人間はそれができる企業を必死になって探したり、思い切って自分で起業したり、フリーでその道でやっていける方法を模索したりといった行動を取るべきだろう。周りには馬鹿にされるかもしれないが、そうして自分が夢中になれる仕事に就くことができれば、それ以上の幸せはない。私が小説という夢中で取り組める対象を見つけられたのは、皮肉なことに就活から逃げる過程においてだったが、できれば中学や高校時代から、そうした自分の「夢」を積極的に探すアンテナを張っておいてほしい。

 もちろん、それは安定した人生を保証する道ではないかもしれないが、私は世間的評価に惑わされず、自分の尺度で生きることができる人間こそが真にすばらしい人間だと思うし、人生の密度はそちらの方が高くなると考えている。受験や就活という競争の中で、あるいは作家にしても受賞歴や売上という競争の中で、物事をラベルでしか見られなくなってしまうというのは、きわめて愚かなことだ。さんざんラベルに弄ばれてきた私が確信を持って言うのだが、ラベルは遊びに使う程度でちょうどいい。

 念のため繰り返しておくが、私が就活に励んでいたのは今から十五年以上前のことなので、以上の話はそのへんの事情も考慮に入れた上で参考にしていただければ幸いである。

【就活編、完】

 次回連載第9回は2/15(木)公開予定です。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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