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「佐川恭一以来の神童」と呼ばれる男? 滋賀の田舎に現れた後継者【学歴狂の詩 第9回】

稀代のカルト作家として人気を集める佐川恭一さんによる、初のノンフィクション連載。
人はなぜ学歴に狂うのか──受験の深淵を覗き込む衝撃の実話です。

前回は、佐川さんの京都大学時代の就職活動を綴りました。
今回は、佐川さんの地元に現れた「神童の後継者」についてのエッセイです。

また、各話のイラストは、「別冊マーガレット」で男子校コメディ『かしこい男は恋しかしない』連載中の凹沢みなみ先生によるものです!
お二人のコラボレーションもお楽しみください。
イラスト/凹沢みなみ
イラスト/凹沢みなみ

「佐川以来の神童」と呼ばれる男

 この連載の第一回では、滋賀の田舎町で私がいかに神童として調子に乗っていたかを紹介した。私の町には中学校が一つしかなく、また某R高を狙うような進学塾も当時はほぼ一択となっていたため、それらを制圧すれば普通に「町一番」を名乗れるような状況だったのだ。私はペーパーテストで敵なしだった中学時代、自分がこのまま超エリートコースを驀進して圧倒的実績を積み上げていけば、遠くない未来に町役場前に自分の銅像が建ってもおかしくないと本気で思っていた。

 ド田舎出身の方にはわかってもらえると思うが、非常に小さな町だったため、私が高校に進学した後も出身中学や塾の進学実績、そして生徒たちのレベル感は謎のネットワークから伝わってきた。私の入手した情報によれば、某R高特進コースの合格者は毎年出るものの、私のように東大寺学園やラ・サールを撃破する者は出ていないようだった。中学の先生たちにも私の印象は強く残っていたらしく、「神童佐川」の大学受験がどうなったのかを気にしている者も多かった。

 なぜそんなことがわかるかといえば、私には五歳下の妹がおり、同じ公立中学校に通っていたからである。かわいそうなことに、妹は私を知る先生たちから「お前の兄貴、大学受験どうなった?」と聞かれまくったという。妹が中一の時(佐川現役時)はみんなに「落ちました」「落ちました」と説明するはめになったが、中二の時(佐川浪人時)には「受かりました」「受かりました」と報告できたようで、私としてはまあ良かったのだが、妹はどちらにせよバリバリだるかったらしい。ちなみに、妹は兄のキモすぎる受験狂ぶりを反面教師とし、勉強に全振りはせず部活等にもきちんと励んでバランスの良い青春時代を送ることを心がけていた。そのおかげなのか生まれつきの資質なのかはわからないが、妹は兄よりもはるかにまっとうな人間に成長している。

 そういうわけで、私はしばらく町の生んだ最高傑作として王座に君臨し続けた。しかし、奇しくも妹と同じ世代に「佐川以来の神童」と呼ばれる男が現れていた。名は国崎亮、中学では敵なしで、私と同じ塾に通ってやはり某R高を第一志望としているようだった。そんな情報も、この小さな町では筒抜けなのだ。私は高校で濱慎平にやられてから自分の頭脳のショボさを思い知らされ、しかも中学時代は楽勝と思っていた京大相手に浪人までしたので、さすがに「町に銅像」みたいな馬鹿げた発想は失っていたが、心の奥でまだなんとなく「町のキングは俺だ」と思っていた。

 学歴フリークのみなさんなら、花巻東高校の校舎に大谷翔平や菊池雄星と並び、同校初の東大合格者(二浪)の名前のデカい垂れ幕が垂らされていたことをご存じかと思うが、あのぐらいのインパクトを私は中学校に、そして町に残したつもりだったのである。国崎くんと私は会ったことすらないが、妹いわくイケメンで、勉強だけでなくスポーツもかなりできるとのことだった。京大在籍中の私は「フーン」と思っていた。そのような万能型はおそらく勉強で私に勝つことはできない、女子からキャーキャー言われスポーツでさわやかに汗を流すような奴(※想像です)は結局勉強が中途半端になり、俺のいる高みには届かないだろう……私は当時、自らのキングの地位がおびやかされることはないと確信して、それほど国崎くんのことを気に留めなかった。

 そして私が大学でダラダラしているうちに、町のネットワークによってオカンから国崎くんの高校受験の結果が知らされた。私と同じ塾から私と同じように合格実績稼ぎの受験ツアーに参加し、結果は某R高合格、ラ・サール合格、そして東大寺学園不合格ということらしかった。私は「ほう、ラ・サールまでは来たか」と感心した。だが、やはり女子からキャーキャー言われてスポーツも万能みたいな野郎(※想像です)には、高くそびえ立つ東大寺の壁は越えられなかったのだな、とも思った。私は当然ながら中学時代に各校の過去問を解きまくったが、某R高とラ・サールで合格最低点を下回ったことはなかった。しかし、東大寺だけはたまに落ちることがあったのだ。当時の私は東大寺とそれ以外の高校に大きな差を感じており、また母親もそう考えていた。東大寺受験の時に家から持っていって使った緑色のスリッパは、長らく「東大寺」の愛称で勝利を象徴する神として家に祀られ、何か勝負事があるとスリッパに手を合わせるというアホみたいな状態になっていた。

「国崎さんとこ、東大受かったんやて」

 私が「町一番」のタイトルを防衛した後、国崎くんは某R高の私と同じコースに入った。そこでは東大京大国公立医学部志望者以外は家畜以下の扱いなので、国崎くんもまあそのどれかを目指すのだろうとは思っていたが、爽やかスポーティイケメン(※想像です!)にあの偏差値のみが力となる異常監獄の苦しい三年間を乗り切れるか怪しいものだ、クゥクゥクゥ……!という、ほとんどお手並み拝見みたいな気持ちでいた。それから時が流れ、私が大学四回生になって小説を書き始めた頃、私の母親が国崎くんの母親と平和堂(滋賀県で覇権を握るスーパーマーケット)で会って話を聞いたらしく、国崎くんは東大を受けるつもりだということがわかった。私はまたも「フーン」と思っていた。「東大を受ける」と言うだけなら、永森(連載第6回参照)にだって言えることである。私はやはり大して気に留めず、小説や卒論を書きながら、周りの友人らと酒を飲みまくりつつ最後の一年を過ごした。おそらくあの年よりビールを飲んだ年はない。

 そして私のモラトリアム期間も終焉を告げようとしていた三月の半ば頃、平和堂から帰ってきた母親が「恭一!」と私に呼びかけた。何かうめぇオヤツでも買ってきてくれたのかと思ったが、母親は真剣な顔で「国崎さんとこ、東大受かったんやて」と言った。私は驚きを隠せなかった。今年合格ということは現役合格である。

「へえ、東大のどこ?」

 私は平静を装い、おそるおそる聞いた。

「文一やって」

「おお、すげーやん」

 私はその瞬間、自分がついに「町一番」ではなくなってしまったことを悟った。私が狂気じみた勉強一本槍の生活でかろうじて達成した記録は、爽やかスポーティイケメン(※)に見事塗り替えられてしまったのだ。現役東大文一となれば、もはやどうあがいてもこちらに勝ち目はない。国崎、お前がナンバーワンだ……!

 かつて世界最大の格闘技団体UFCで十年無敗、七回連続で王座を防衛していたジョゼ・アルドという選手が、当時新星だったコナー・マクレガーに秒殺KO負けを喫したように、伝説の神童もいつかは必ず負ける時が来る。わたしは町に新時代を作った若者に拍手を贈るような気持ちで、オカンに「完全に負けたな」と言った。すると、母親は微笑みながら言った。

「でもな、国崎さんのお母さんに聞いたんやけど、国崎くんは恭一に勝ったと思ってないんやって」

「は? なんで?」

「やっぱり国崎くん、東大寺に落ちてるから。その時に感じた東大寺の難しさっていうのがすごい印象に残ってるらしいんよ。せやから東大寺に受かったあんたのことをずっと尊敬してるらしくて、東大には受かったけど、全然勝った感じはせえへんって言ってるらしいわ」

「いや、普通に勝ってるやろ」

「まあ、本人はそう思ってへんのやってさ」

 変わってんなあ、と私が言い、それで国崎くんについての会話は終わった。だが、国崎くんはずっと私の幻影を追ってくれており、それを東大文一現役合格という最高の形で乗り越えてくれたのだと考えると、なんとなく胸に熱いものが湧き上がってくるのを感じた。国崎、俺は一浪で京大だ、もちろんお前の勝ちだ、でも聞いてくれよ、俺は誰もが知る立派な一流企業に内定したんだ、だからもう少しだけお前の前を走れるかもしれない、四年後か六年後か知らないが、その時にもう一度俺を乗り越え、真の「町一番」になってみせろ……!

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新刊紹介

佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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