2023.10.19
努力界の巨匠・菅井が教えてくれた努力それ自体が持つ「美」【学歴狂の詩 第5回】
菅井は受験の「才能」に欠けている
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私や西田はお腹がすくと、よく塾の近くにあったマクドで小腹を満たしながら受験談義に華を咲かせたのだったが、菅井はその時間も惜しんで自習室に残り続けた。21時を過ぎる頃には私や西田がバテることもあって、「今日はもう帰ろうや~」と言いながら椅子のキャスターをコロコロして菅井を誘ったりする日も多々あったのだが、菅井は一度も首を縦に振らなかった。菅井はやると決めたら絶対にやる。「まあ、今日はいいか」という妥協心が一切ないのだ。私も西田も最初は「あいつはイカれとる」と笑っていたが、圧倒的な努力を間近で見せられ続けると、それは優れた芸術作品を見た時のような大きな感動を呼び起こす。私は連載第二回で紹介した濱慎平以上の天才を見たことがないが、努力量ということでいえば菅井以上に努力する人間を見たことがない。菅井は私や西田に努力それ自体の持つ「美」を教えてくれた。二人の努力の師匠はまぎれもなく菅井だった。
ただ、菅井の成績はなかなか上がらなかった。あれだけやっていて上がらないということがあるものかね、と首を傾げたくなるぐらい上がらなかった。おそらく、量を積み重ねることはできても、その方向性を正しく定めるという点に難があったのだろう。私は菅井が一体何をどう勉強しているのか聞いてみたことがあったが、別にヤバそうなところはないように聞こえた。受験界隈にいると明らかにやり方をミスって死相が出ている奴に出くわしたりもするのだが、菅井はその類ではなかった。三人で何かの科目について話していて、菅井が理解不足でついてこられなかった場面というのも特に思い出せない。私には菅井の抱える根本的な問題が何なのかわからなかった。
だが、これだけ成果が出ないということになると、やはり菅井は受験の「才能」に欠けているのではないか……当時の私は薄々そう思っていた。そもそも、中学時代にも血の滲むような努力をしていたのに、某R校の特進でなく一般コースになってしまった時点で怪しかったのだが、その無理が大学受験においておそらく決定的な形で表出してしまったのだ。
かの有名な林修先生は、どこかのテレビで「大して努力しなくても勝てる領域を見つけ、そこで努力しろ」と言っていた。これはその通りだと私は思っていて、まったく向いていないことにいくら時間を費やしたところで、あまり大きな成果は見込めない。私は小学校四年生の時、信じられないほどヘタクソだったためサッカー部を三ヶ月でやめたが――当然ながら小学生の私がはっきりと林修流の考えを持っていたわけではないが、サッカーに取り組む時間を完全に無駄だと思っていたことは間違いない――、当時父親はかなり怒っていた。あまりにも根性がないというわけである。その考え方ももちろん、ある面では正しい。「やめ癖」がついて何でもかんでもすぐ放り出すようになってしまう可能性もあるからだ。もしかすると、このサッカー部瞬間退部経験は、私が新卒で入った会社を一年でやめたことにも繋がっているかもしれないのである。ここは親としては非常に難しいところではあるのだが、子供が小さいうちは適正を探り当てるつもりで色々とやらせてみて、親がある程度の方向性を見極めてやるのが理想だとは思う。
実は、私が三か月でやめたサッカー部で菅井はレギュラーとして六年生の最後まで活躍していたし、コミュニケーション能力も高く女の子にもモテていた。おそらく人間としての総合力で勝負すれば、私は菅井にワンパンでやられるレベルである。しかし、菅井が迷いなく選んだフィールドは京大受験だった。私は勉強以外にほとんど何の取り柄もない偏った人間だったからほぼ京大受験を選ぶしかなかったのだが、菅井はそうではなかった。もっとたくさんの選択肢が菅井の前にはあったはずだ。それでも京大受験に全ツッパすると決めた理由は私にはわからないが、人にはそれぞれ、他者には理解できないこだわりがある。実際、私が執拗に小説を書き続けている理由を理解してくれる家族親族はいないし、私自身、それを明確に言語化することはできない。一つ一つの細かい理由を挙げることはできても、それらを積み重ねてできあがった答えは本当の答えからは決定的にズレてしまう。正直なところ、「魂がそれを求めているから」というようなスピリチュアルな答えにしかならないような気もする。多くの人間が何かに熱狂的に駆り立てられるとき、その行為は自ら選ぶ前に選ばされているのではないだろうか?
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