2023.11.16
ノートにappleと延々書き続ける東大文一志望の大物受験生・永森【学歴狂の詩 第6回】
人はなぜ学歴に狂うのか──受験の深淵を覗き込む衝撃の実話です。
前回は、努力界の巨匠・菅井を紹介しました。
今回登場する学歴狂は、逆転の永森です。
また、各話のイラストは、「別冊マーガレット」で男子校コメディ『かしこい男は恋しかしない』連載中の凹沢みなみ先生によるものです!
お二人のコラボレーションもお楽しみください。
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私たちの高校のクラスには、おそらく日本有数と呼べる大物受験生が在籍していた。名は永森という。彼は席順でいえば濱慎平のすぐ後ろ、通路を挟んで私の左側に位置していた。最初の頃、私たちはあまりコミュニケーションをとっていなかったが、一年生一学期の中間テスト、世界史が一問を除いてめちゃくちゃ簡単でほとんどみんなが九十五点を取ったことがあり、その時どうやら永森も濱も私も九十五点だった。なぜわかったかというと、永森が「お、濱くんも九十五点か。これからもがんばろな」とトップオブトップの濱に慣れ慣れしく声をかけていたからで、そこにはなんとなく濱の終生のライバルになりそうな雰囲気が醸し出されていた。
しかし、その雰囲気は本当に雰囲気だけだった。永森はその後特進コースの劣等生としての道を驀進していく。私たちのコースは2クラスあって合計104人の編成だったが、100〜104位の5人は「ゴレンジャイ」と呼ばれていた(もちろん「ダウンタウンのごっつええ感じ」のコント・世紀末戦隊ゴレンジャイが由来である。当時すでにごっつええ感じの放送は終わっていたが、ダウンタウンの影響力はこの監獄のような高校の内部にまで浸透していたのだ)。そして、ゴレンジャイのほぼ固定メンバーとなってしまったのが永森だった。
だが、そんな永森がどこを目指していたかといえば、なんと東大文一だった。私や他の上位陣が「まあ、必死でやってギリ京大かな」と感じ始めた高一の末頃になっても、永森は「東大文一」と言ってはばからなかった。ずっとゴレンジャイから外れないので、みんなさすがに冗談かと思いバカにしていたが、永森の目を見た者は誰もが「こいつは本気で東大文一を目指している」と感じた。いくらみんなにバカにされ笑われても、目がまったく死んでいないのである。
多くの者が永森から不気味な力を感じていた背景には、一応彼の過去の歩みも関係している。彼は京都の大きな進学塾出身で、同じ塾の同じ教室から来た人間もたくさんおり、彼らの証言によれば「永森はとても某R校に受かるような成績ではなかった」ということだった。塾でもいつも下位をさまよっており、某R校の特進コースどころか一般コースも落ちるはずの成績だったらしいのだ。それが蓋を開けてみれば、塾の上位陣をブチ抜き大逆転をかまして特進コースに合格したので、みんな度肝を抜かれたという。そういう「一発逆転」のオーラが、彼からはつねに発せられていたのである。
ある時、私は休み時間に必死でノートに何かを書きまくっている永森を見た。こいつ、何か東大文一を攻略する秘策でも持っているのか? そう思ってノートを覗き見た私は驚愕した。もう驚愕しすぎて、その時は本気で震えてしまった。なんと永森は、ノートに延々と「apple,apple,apple,apple……」と書き続けていたのである。こいつはやっぱり本物のアホだ、と私はいったん思ったが、こんな東大京大狙いの猛者が揃った教室の中で、誰からも見える場所で堂々と「apple」の練習をすることは実は相当難しいということに気づいた。普通、恥ずかしくてそんなことはできない。だが、こいつにはそれができる……?
最近「青のオーケストラ」というアニメを家族が見ているのだが、それを私も一緒にチョコチョコ見ている。その中で、まだあまりバイオリンのうまくない女の子がデカい音を出して練習しているところに神童っぽい主人公がやってきて、「お前には素質がある」みたいなことを言う回があった。大体要約すると、まだ下手な人間は恥ずかしがって大きな音が出せないものだが、お前は堂々と演奏している、それだけでもすごいことなのだ、というような話だったと思う。今思えば、私は永森の「apple」にそれに近い感覚をおぼえていた。いや、ほとんど恐怖といってもよかったかもしれない。appleなんて中一の最初にやるような単語なのに、なぜそれほど念入りに確認しなければならないのか? いや、しかし、自分は絶対にappleのスペルを忘れないと言えるだろうか? こいつはもしかすると、私たちが調子に乗って応用問題を解きまくっているうちに「真の基礎固め」を済ませ、後で一気にマクってくるつもりなのでは?
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