よみタイ

死んだ私を見つけてくれるのは誰なのか

バツイチ、シングル子なし、女40代、フリーランス。 編集者、ライターとして、公私ともに忙しく過ごしてきた。 それは楽しく刺激の多い日々……充実した毎日だと思う。 しかし。 このまま隣室との交流も薄い都会のマンションで、 これから私はどう生きるのか、そして、どう死ぬのか。 今の自分に必要なのは、地域コミュニティなのではないか……。 東京生まれ東京育ちが地方移住を思い立ち、地縁のない土地へ。 女の後半人生を掘り下げる移住体験実録進行エッセイ。

祖母からの予言「子どもを産むにはもう遅い」

 42歳の誕生日、子どもがいない人生を歩むことを突き付けられた気がしました。
 可能性がないわけではないけれど、額にお札をぺたりと貼られたような、可能性にしがみつく選択肢を自ら捨てたような……。とにもかくにも、「子どもがいないことを前提に、どう生きるか考えなさい」とお告げ(?)がありました。
 今は亡き祖母に、
「あんた、子ども産む気だったの? もう遅いわよ」
 と、予言めいた台詞を言われたときから、なんとなく予想していたのかもしれません。そんな現実を、意外とすんなり受け止めることができました。
 それならそれで、人生後半戦をどんな価値観で生きるかなと。

 中学生の頃から定年後の何にも縛られない自由な暮らしに憧れていた私は、結婚を機に30手前でフリーランスになりました。30代半ばで離婚したあとは、すべてにおいて仕事優先。やりたいことは定年後に取っておこう。有難いことに人に恵まれ、泣き笑いながら馬車馬のように働きました。
 長くお付き合いした人もいたけれど、結局は友達に戻って、またひとり。休みがあれば、国内外を旅して回る。30代は仕事にプライベートにと、ジェットコースターのように流れていきました。

 そして迎えた40代なわけです。30代の勢いのまま突入したはいいけれど、“年齢にとらわれない美しさ”なんて原稿を書きながら「40」という数字が理由もなくのしかかってきます。仕事で若き才能に出会っては、人生前半を振り返って後悔することもしばしば。
 どうなるかわからない仕事、徐々に衰えていく体力、隣人の名前すら知らないローンを抱えたマンション生活……。自分の両足、両肩だけに、自分の人生がのっかっているシンプルな状態だけど、足腰が弱れば一気に崩れ落ちます。
 大学を卒業してすぐ保険会社に勤めたため、ライフステージとお金の関係や、国民年金でもらえる金額もなんとなくわかっていました。自分の年齢や社会状況を鑑みれば、「なんとかなるさ」が、通用しなくなってきていることもひしひしと……。

 それでも。
 キャリアだの安定だのをかなぐり捨ててフリーランスを選んだのは、「好きなことしかしたくない」というストレス耐性ゼロの私が導き出した答えなのです。今さら組織に属したり、何かを我慢したりしながら生きていくのは、言うなれば都落ちで、どうにかそれだけは避けたい。いや、絶対に避ける。
 独立したときは、思いきりのよさと、若さと、共に背負い合えるパートナーがいました。いつの間にか名前を聞かなくなった人たちを知っている今、決して若くはない今、自分の人生が自分のものだけになった今、石橋を壊れんばかりに叩かずにはいられません。
 ストレスとリスクを避けながら、好きなことをして生きていく。今後、パートナーが現れるかもしれないけれど、ひとりだろうとふたりだろうと楽しければそれでよし! まずは自分の足腰を鍛えながら、私なりの豊かな生活を模索してみたいと思います。

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藤原綾

ふじわら・あや
1978年東京生まれ。編集者・ライター。
早稲田大学政治経済学部卒業後、某大手生命保険会社を経て宝島社に転職。ファッション誌の編集から2007年に独立し、ファッション、美容、ライフスタイル、アウトドア、文芸、ノンフィクション、写真集、機関紙と幅広い分野で編集・執筆活動を行う。
インスタグラム @id_aya 
ツイッター @ayafujiwara6868
プロフィール写真©chihiro.

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