よみタイ

村井理子「犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間」
実兄の孤独死をめぐる顚末を描いたロングセラー『兄の終い』のほか、翻訳書『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』、発売即重版となった最新作のエッセイ『全員悪人』など、数多くの注目作を手掛ける翻訳家の村井さんが琵琶湖畔に暮らして十数年。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と賑やかな毎日を送っています。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。

中学三年受験生の悩める母の夏―追いつめられているのはなぜか

 連日の翻訳作業で掛け軸に描かれた幽霊のような姿になった私の老眼の目に、夏を迎えた山の緑があまりにも鮮やかで、稜線を染める夕焼けの淡いピンクが泣けるほど美しくて、私の心はもう、すべてを抱えきれない状態になっている。琵琶湖でこの時期盛んに行われるバーベキューの、焼ける炭から出る白い煙と、じゅわっと広がるタレの香ばしいにおいにさえ反応して、頭のなかは切り取られた夏の思い出で一杯になる。脳内の夏アルバムのページが勝手にめくられ、昔の記憶を引っ張り出してくる。仲良しだった女の子の三つ編みを留めるカラーゴムの色まで思い出してしまう。一緒に練習したなわとび、二人乗りした自転車、突然遠くへ引っ越していったあの子。なんと切ないことか。

 こんな気持ちの私を追いつめているのは昔の思い出だけではない。現実でさえ手厳しい。この前まで小学生だったはずの双子の息子たちが、とうとう中学三年の夏を迎えてしまったのだ。高校受験という何かとっても怖いものが目前に迫ってきている。目を合わせてはいけない。走って逃げなくてはいけない。近づいてはいけない。そんな気持ちでいる私に、容赦なく様々な現実が押し寄せてくる。迫り来る締め切り。両親の介護。そんな難問ばかりの生活のなかで、私を最も削りに削るのが、実は塾の先生や学校の先生との面談だ。これが私に大きなダメージを与えている。

 決して、先生たちが嫌いなのではない。怖いのでもない。話をするのが面倒なのでも、辛いのでもない。むしろ、わが家の双子はかなり幸運だと思えるほど、親身で素敵な先生に恵まれてきた。明るくて楽しい先生ばかりだ。やんちゃな次男なんて、三年間ずっと同じ担任の先生にお世話になりまくっている。電話連絡は今まで数え切れないほどあった。入学直後、クラスメイトと取っ組み合いのケンカをしたときが最初だ。あれからあっという間に三年の時が流れ、なにから何まで本当に……先生ッ! だからこそ、私は申し訳なくて身が縮む思いがしているのだ。

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

新刊紹介

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な連載に「村井さんちの生活」(新潮社「Webでも考える人」)、「犬(きみ)がいるから」(亜紀書房「あき地」)。主な著書に『兄の終い』(CCCメディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。
家族の実話を描く近刊のエッセイ『全員悪人』が大好評、話題となっている。
最新刊は『ハリー、大きな幸せ』(亜紀書房)、および『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)。

ツイッター:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

週間ランキング 今読まれているホットな記事