2021.10.18
【絶対観るべき動画つき!】14戦14勝無敗! “選挙の鬼”中村喜四郎、16年越しの独占インタビュー90分!
初の選挙取材のときは変装して潜り込んだ
私が初めて中村の選挙を見たのは2005年。ゼネコン汚職事件で実刑判決を受けた中村が、刑務所を出てから初めて迎えた総選挙だった。
このときの取材は困難を極めた。選挙事務所の前には「マスコミ立入禁止」の看板が掲げられ、活動予定を一切教えてもらえなかったからだ。
私はそれでも中村の個人演説会場を探し当て、受付に並んだ。しかし、一度目は記者であることがバレて入場を拒否された。二度目はジャケットを脱ぎ、カメラを置いて並んだ。しかし、そこでもバレた。三度目は服を作業着に着替えて帽子も被った。そして、ようやく会場に入れたことを覚えている。
当時、ここまでしてマスコミをシャットアウトしようとした理由を今回のインタビューで問うと、中村はこう答えた。
「何を言っても読者、視聴者が関心をもってくれるとは到底思えなかった。多くを語らないほうがいい。語らないことに意味がある。どのような誹謗中傷、批判を受けようとも喋らないと決めていました」
司法に対する不満を話すのは「滑稽だ」とも中村は言う。
「そんな情けない姿は見せないと決めた。とことん戦う姿勢を堅持することが必要だ」
中村がこの姿勢を貫けたのは、選挙で結果を出せていたからだ。
中村は逮捕後に行なわれた選挙の際、選挙区内の8万軒以上に足を運び、自らが被告となった裁判の起訴状と判決文を配って回った。そうすることで中村は選挙に勝った。
「どっかにやましいところがあったら起訴状や判決文を配れない。一般の人は中身なんか興味ないでしょうけど、そういう行動ができるということは、自分なりの主義主張、信念があると有権者が感じてくれたということ。だからみんな応援してくれた。そのことを大切にしなくちゃいけない。そういう姿勢を崩しちゃいけない。応援してくれた人に対する最低限のルールとして、守らないといけないと思っていました」
私が2005年に潜入した中村の個人演説会での話は、決して世間に隠すような内容ではなかった。長時間に渡る中村の演説は、笑いあり、涙あり。熱気に溢れた会場は大いに盛り上がっていた。
演説開始前、聴衆の中に飛び込んで握手をして回る中村の腕は日焼けして真っ黒だった。乾いた汗が肌の上で白い結晶になっているのもわかった。その手が会場の有権者の手を一人ひとり「グググッ」と強く握る。支援者の顔をして潜入した私の手も中村は握った。一瞬の握手なのに、ビリリと中村の熱が伝わってきた。
「言葉よりも態度で示す。なにも私は検察と対峙することを目的に黙秘をしたんじゃない。この事件に対して俺は戦う。絶対にこんな話には乗らないし、妥協はしない。執行猶予を取りになんていかない。刑務所に入れられても構わない。絶対に諦めずに最後まで戦うことを有権者に伝えるためには、あれしかなかった。それはきっと伝わると思っていたんです」
中村の沈黙を支えたのは、これまでの選挙で得た経験と選挙の結果だった。