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畠山理仁「アラフォーから楽しむ選挙漫遊記」
20年以上、国内外の選挙現場を取材し続けている開高健ノンフィクション賞作家・畠山理仁さんによる“楽しくてタメになる”選挙エッセイ。

前回の第46回は自民党総裁選と第100代総理大臣と就任した岸田内閣についてのお話でした。

そして今回は衆院選公示前日スペシャル企画! その選挙戦を追い続けて16年。ついに"選挙の鬼"中村喜四郎との初めての対面インタビューが実現しました! そのやりとりを可能な限り一言一句リアルに、観て、聴いてもらうためインタビュー内容そのものは最後にある動画をメインにお伝えいたします。ぜひ最後までご一読、ご視聴ください。必ず選挙に行きたくなります。

(インタビュー撮影/熊谷 貫)
 

【絶対観るべき動画つき!】14戦14勝無敗! “選挙の鬼”中村喜四郎、16年越しの独占インタビュー90分!

インタビューは10月8日(金)衆議院第二議員会館の事務所にて行われた。
インタビューは10月8日(金)衆議院第二議員会館の事務所にて行われた。

選挙のために戸籍名を変えた「中村喜四郎」

 私の選挙取材歴を語るとき、どうしても外せない人物がいる。中村喜四郎だ。
 これまでの選挙戦績は14戦14勝。そんな中村を私は「選挙の鬼」と呼んできた。
 中村喜四郎のすごさを知ってもらうには、まず、彼の半生に触れる必要がある。

 出生時の名前は「伸(しん)」。父親は中村喜四郎、母親は中村登美。両親ともに参議院議員を務めた。
 そんな中村は日本大学法学部を卒業する直前に田中角栄事務所へ入所して秘書となった。
 初めての選挙は28歳。その時、中村は出生時の名前である「伸」ではなく、亡父と同じ「喜四郎」の名前で選挙を戦った。これは選挙のための通称使用ではない。選挙のために戸籍名を変えている。ここに二代目「中村喜四郎」が誕生した。
 初めての選挙を無所属で戦った中村は見事に当選した。当選後には自民党の追加公認を受け、政治家としての一歩を踏み出した。
 初入閣は40歳(宇野宗佑内閣で科学技術庁長官)。43歳の若さで建設大臣(宮沢喜一内閣)になると、「将来の首相候補」「(当時の自民党最大派閥である)経世会のプリンス」とも呼ばれた。

 しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった1994年、中村はゼネコン汚職事件で現職国会議員のまま逮捕される。逮捕の2日前には自民党を離党し無所属となった。中村の拘置日数は140日にも及んだが、雑談や挨拶にも一切応じることなく、完全黙秘を貫いた。
 裁判は供述調書が一通も作成されないまま始まった。中村は裁判の場で一貫して無罪を訴えた。しかし、1997年10月、東京地方裁判所で懲役1年6か月、追徴金1000万円の実刑判決を受けた。
 中村はこの判決を不服として控訴したが、2001年に東京高裁が棄却。中村は上告したものの、2003年に最高裁が棄却して実刑が確定。中村は議員失職し、黒羽刑務所で服役することになった。
 驚くべきことに、中村は実刑が確定するまでの間に行われた1996年、2000年の総選挙にも無所属で立候補し、当選し続けた。自身の失職によって行われた2003年4月の補欠選挙(中村は不出馬。永岡洋治が当選)、同年11月の総選挙を除けば、2005年、2009年、2012年、2014年、2017年の総選挙でも無所属で当選を果たしている。選挙の強さは異常と言ってもいい。

 もうひとつ付け加えるならば、選挙に強い中村は、自公連立政権下でも茨城7区を特別な選挙区にしてきた。茨城7区には自民党公認の永岡桂子(故・永岡洋治衆議院議員の妻)がいたにもかかわらず、公明党は無所属の中村と選挙協力をする関係にあったのだ。

「小選挙区は中村、比例は公明党」

 公明党は強固な後援会「喜友会」を抱える中村と選挙協力をすることで、北関東ブロックでの比例議席を上積みしたこともあった。

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畠山理仁

はたけやま・みちよし●フリーランスライター。1973年生まれ。愛知県出身。早稲田大学第一文学部在学中の93年より、雑誌を中心に取材、執筆活動を開始。主に、選挙と政治家を取材。『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』で、第15回開高健ノンフィクション賞を受賞(集英社より刊行)。その他、『記者会見ゲリラ戦記』(扶桑社新書)、『領土問題、私はこう考える!』(集英社)などの著書がある。
公式ツイッターは@hatakezo

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