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日本一悲壮感のないパンクバンド・ニューロティカ物語。還暦寸前の成人病持ちだけど、あっちゃんは今夜もモテモテ!?

バンドの人気絶頂期は遊びたい盛りの20代。だから当然……

 破竹の勢いだった当時のニューロティカは、年頃の男の子からも女の子からも強く支持された。ましてやバンドの花形であるヴォーカリストだから、あっちゃんの人気は尋常ではないほどだった。
 さぞや女の子にもモテただろうと率直に聞いてみると、あっちゃんの答えは質問よりもさらに率直だった。

「すごくモテましたね。ライブのあとホテルの部屋に一人でいると、女の子が次々にノックしてくるんですよ。そういう時代でした。ドアスコープからのぞいて、好みのタイプじゃなかったら鍵を開けない。そんな時代ですよ(笑)。
 他のメンバーのことにはあまりタッチしないんでよく知らないですけど、少なくても僕はモテましたね。とても」

昔も今も女の子が好き。そしてモテる!(撮影/木村琢也)
昔も今も女の子が好き。そしてモテる!(撮影/木村琢也)

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 ライブの打ち上げが大好きで「打ち上げのためにバンドをやっていたようなものだった」と豪語するあっちゃんの当時の行状については、本人がすでに色々なメディアで語っているが、改めて聞くとやっぱりなかなか凄まじい。

「打ち上げにかかる金は、全部レコード会社と事務所が払ってくれるから、いくらでもただで飲めたんです。こんなに楽しいことはないでしょう。
 特にニューロティカが本拠地にしていた、当時は西新宿にあったライブハウスのロフトにはバースペースがあるので、ライブ終了後に、そこで打ち上げが始まるんです。そして深夜の1時にもなると事務所やレコード会社の人たちは帰るから、そこからが本番。外で待っている女子を、全員入れちゃうんです。100人とか200人とか(笑)。
 入口で、僕と当時のギターのJACKieにチューしなきゃ中に入れないというルールにして、顔じゅう口紅で真っ赤になったり。バカなことやってました。
 ロフトが好きすぎて、自転車で20分くらいで来れるところに住んでいました。自分たちのライブじゃなくても打ち上げだけ参加したりしてましたけど、僕らのようなバンドの打ち上げに来る度胸のある女は、『やってくれ』って言ってるようなもんですから。
 その頃のロフトはアナーキーやARB、ルースターズといった上の世代の方々が卒業した時期でしたから、僕らの天下。羽を伸ばしていました(笑)。ロフトには入り浸りすぎて、合鍵を預かっていましたからね」

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佐藤誠二朗

さとう・せいじろう●児童書出版社を経て宝島社へ入社。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わる。2000~2009年は「smart」編集長。2010年に独立し、フリーの編集者、ライターとしてファッション、カルチャーから健康、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動を行う。初の書き下ろし著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』はメンズストリートスタイルへのこだわりと愛が溢れる力作で、業界を問わず話題を呼び、ロングセラーに。他『オフィシャル・サブカル・ハンドブック』『日本懐かしスニーカー大全』『ビジネス着こなしの教科書』『ベストドレッサー・スタイルブック』『DROPtokyo 2007-2017』『ボンちゃんがいく☆』など、編集・著作物多数。

ツイッター@satoseijiro

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