2023.7.18
ラフィンノーズのチャーミーは“ファッションパンク”の鏡。全財産を注ぎ込むほどのめり込んだブランドとは?
ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミーの物語も3回目。前回は、チャーミーを語るために欠かすことのできない存在である父親と盟友ポンについてお伝えした。
今回は62歳のいまもスリムなカッコいいスタイルでステージに立つ、チャーミーのおしゃれのこだわりから話は展開する。
(全4回の3回目 #1 #2 #3 #4)
昔から、パンク少年のおしゃれのお手本だった
僕が“動く”チャーミーの姿を初めて見たのは1985年、高校1年の冬だった。
その年の11月に発売されたメジャーデビューアルバム『LAUGHIN’ NOSE』からシングルカットされた「BROKEN GENERATION」のミュージックビデオが、ある朝、つけっぱなしにしていたテレビの番組の中で流されていた。
中学時代からパンクとニューウェーブに夢中になっていた僕は、もちろんその前からラフィンノーズというバンドの存在は知っていたし、友達に借りたレコードからダビングしたカセットテープで、インディーズ時代のレコードも一通り聴いていた。そしてテレビを通して偶然見たそのミュージックビデオで、さらにラフィンノーズ熱が一気に急上昇する。
とにかくボーカルのチャーミーが、一際カッコよかったのだ。
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インディーズ系カルチャーが好きな当時の少年少女たちにとって、パンクやニューウェーブのバンドの情報をコンスタントに伝えてくれるメディアは、雑誌にほぼ限られていた。僕も『宝島』『DOLL』『FOOL’S MATE』の“3大インディーズ系サブカル雑誌”を毎号欠かさずチェックしていた。そうした雑誌が毎号のように大きく取り上げていたのが、インディーズシーンのリーディングヒッターであるラフィンノーズの動向だった。
雑誌で見るラフィンのチャーミーは、やっぱり常におしゃれでかっこよかった。ガーゼシャツやドクターマーチンブーツといった、典型的なパンクアイテムを身につけていることも多かったが、ボーダーの長袖Tシャツや、メジャーリーグのレプリカユニフォーム、白いテーラードジャケットといった本来はパンクアイテムではないものも、チャーミーが着るとめちゃくちゃかっこいい独特のパンク風ファッションに変換されるのだった。
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