2020.8.10
突然死した兄の汚部屋が語るもの—片付けは、供養かトラウマか
住んでいたアパートで突然亡くなった兄の、その部屋の片付けを経験したのは9ヶ月ほど前のことだ。買い物が大好きで収集癖まであった彼の部屋は、見事なまでにガラクタで溢れかえっていた。恐る恐る開けた安普請な玄関ドアの向こうに、古代遺跡のようにそびえる大量の荷物を見て、思わず息を飲んだ。窓から差し込んだ西日に照らされたその山から、淡い色をしたほこりが吐き出されているのが見えた。冬だというのに、湿り気のある臭気が充満していた。カビと生ごみと人間の出す強い臭いが混ざり合い、目に沁みるように強烈だった。その強さに圧倒されながら、踏むとつま先が沈み込むクッションフロアを、一歩一歩、怖々と進んだあの日の記憶は鮮明に残っている。
最も扱いに困ったのは、大型家電でも生ごみでもなく、部屋中に、無数に点在していた日用品の数々だった。指輪、画鋲、キーホルダー、電池といった小さいけれどやっかいな「燃えないごみ」に分類されるものは、当然、分別して捨てる必要があるのだが、初めて訪れた縁もゆかりもない東北の町では、分別ルールを調べるといったシンプルな行いですら負担だった。そのうえ、ざっと見積もっても、細々としたものだけで大きなごみ袋数枚分の量があった。その肝心のごみ袋さえ、どこで購入すればいいのかわからない。アパートの周辺に何があるのかさえ一切知識を持たないまま、急遽訪れたのだ。床からひとつガラクタを拾い上げては、指先に触れるべったりとした汚れの感触に心を削られた。
それだけではなかった。色褪せた一円玉が溢れる粉末コーヒーの瓶がいくつもあった。めくったページの間から食べ残しがサラサラと落ちる古い雑誌の山は、高さ1メートルを超えていた。その横には、持病を多く抱えていた兄に処方された何種類もの薬が、敷かれた薄いラグを覆うようにして置かれていた。シワのついていない白いナイロン袋は、兄の手からふわりと床に置かれ、そのままの状態でしばらくそこに存在していたに違いない。服用する気力も持てないまま、ただ放置するしかなかった兄の最期の日々がありありと見えるようだった。
あまりの状況に、部屋ごと大きなごみ袋に入れて、きれいさっぱり捨て去ってしまいたいと考え、そのうち、笑えてきた。ハハハ、これは酷いね。最悪だ。まったくなんてことをしてくれたのだと、悲しみよりは怒りを募らせ、怒りながらも多くの人々の助けを得て、数日間ですべてを片付けて帰路についた。