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突然死した兄の汚部屋が語るもの—片付けは、供養かトラウマか

 9ヶ月経った今となっては、兄を責める気にはなれない。むしろ、兄の部屋を片付けることで、私は兄の晩年の苦労や病の辛さを、彼から拭い去ることができたのではないかと考えている(いや、考えたいのかもしれない)。こんなことを書くと妙に思われるかもしれないが、兄を思い出し、その最期を想像して辛くなるたびに行う儀式のようなものがある。兄に同情する気持ちに強く引きずられそうになるときは、心のなかで清潔な雑巾を何十枚も用意するのだ。そして同じく心のなかで、プラスチックのボトルに入れた水にセスキ炭酸ソーダを溶かしていく。準備が整ったら、清潔な雑巾を右手に、ボトルに入ったセスキ炭酸ソーダ水を左手に、記憶に残る兄のアパートに入って行く(すべて想像のなかで)。最も汚れの酷かったキッチンに真っ先に向かい、スプレーを吹きかけ、徹底的に磨きはじめる。不思議なもので、そんな想像をしているうちに悲しみは消え、心に平安が訪れる。あの汚れきった部屋を掃除することが、私ができる唯一の弔いなのだろう。少なくとも今の私はそう考えている。

 責任を感じることはないし、申し訳ないと考える必要だってないことも知っている。しかし、私の心の中にある兄に対する気持ちは、きっと私と兄だけのもので、私はそんな兄と自分だけの間に横たわる気持ちを抱えながら、心のなかで兄の部屋を掃除し続けている。そうしてあげたいから、そうしている。私のなかで、兄はまだちゃんと死んでいないのかもしれない。

 今もどこかで生きているように感じられる兄の、最期の日々の汚れを拭い去って、隅から隅まで磨き上げることで、兄が見た最期の光景があの汚れた部屋ではなく、私が磨き上げた部屋なのだと記憶を上書きしていく。苦しみも、悲しみも、悔しさも、そのすべてがきれいさっぱり片付くと思い込む。供養と言えるだろうし、トラウマとも言えるだろう。どう考えてもらってもいい。とにかく、私の心の小部屋には、汚れを拭き去った雑巾が数百枚は積み上げられている。兄の部屋か私の心の小部屋か、どちらが汚部屋かわかったものではない。

 読んだのは、小笠原文雄の『なんとめでたいご臨終』だ。自宅で看取られることを選び、笑顔で人生をまっとうした人たちとその家族の記録である。今は、人生の終わりも選べる時代であること、笑顔でこの世に別れを告げられる人がこんなにもいることに心が温かくなる。死に対する恐怖が薄れる一冊だ。自分の死をある程度予期し、それを自分なりに受け入れることができる人は幸せだと思う。笑顔のピース写真に、こちらもピースで応えたくなる。

小笠原文雄著『なんとめでたいご臨終』(2017年6月刊行/小学館)
小笠原文雄著『なんとめでたいご臨終』(2017年6月刊行/小学館)
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村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』など。主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』など。

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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