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村井理子「犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間」
翻訳家の村井理子さんによるエッセイ『兄の終い』。
実兄の孤独死をめぐる顚末を、怒り、哀しみ、そして、ほんの少しのユーモアで描いた話題作です。
『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』など、多くの翻訳を手掛ける村井さんが琵琶湖畔に暮らして、今年で15年になりました。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と送る賑やかな毎日―。
古今東西の書籍にふれた村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。

料理に心底疲れ切った絶望感—もう一度、向き合おうと思うまで

 ここ数年、料理に対する情熱がどんどん失われつつあった。その理由はいくつか考えられるけれど、「疲れた」というひと言でほとんどすべて説明できるだろう。なにがどう疲れてしまったのかを説明すると、決まって「え、そんなことで?」と驚かれる。そこは盲点だったなあと感心されてしまう。種明かしをすると、私が心底疲れてしまったのは、自分自身の「味」だ。自分が作り出す、何十年も変わらない自分の味に疲れて、嫌気がさし、心底うんざりしている。ため息が出るほど自分の料理に飽きた。豪華なものなんていらない。奇抜なアイデアも必要ない。ただただ、私は自分以外の誰かが作ってくれた、何の変哲もない一皿に飢えている。そして私は、誰かのために作ることに、疲れ切ってしまったのだ。
 
 両親が共働きだったため、小学校の低学年から料理は作り続けてきた。最初はインスタントラーメンぐらいしか作ることができなかったけれど、火の扱いへの恐怖心が徐々に薄らぎ、やがて自信に変わると、次々と新しいレシピに挑戦するようになった。それは料理というよりは、むしろ図画工作や理科の実験に近かった。材料を切って、火を通して、調味料を加えていくことで、食べることができる何かになるという面白さと、それを「美味しい」何かに変えていくことの楽しさにすっかりやみつきになった。私が何かを作ると母が驚くのも、兄が褒めちぎるのも、父が残さず食べてくれるのもうれしかった。結局、小学校を卒業するまでに、学校行事に必要な弁当は自分で作ることができるまでになった。

 料理に対する気持ちが微妙に変化しはじめたのは、私が料理を作ることが、当然のことと受け止められるようになってからだ。大学を出て働きはじめ、結婚適齢期に近づくにつれ、「こんな料理を作ることができるんだね」とか、「ありがとう!」という、シンプルだけれど、私にとってはうれしい周囲の言葉がピタリと止まった。実の母でさえ、おふくろの味だとか、男性を喜ばせるレシピなんて本を送ってくるようになり、私が母に対して出す料理にも、「もうちょっと甘くしたほうが男の人は好きだよ」とか、「働き盛りの男の人には塩分を多めに」とか、ことあるごとに言われるようになった。どれだけ作っても、必ず一つは課題点を見つけられる。その課題点の先にあったのは、結婚だった。あなたの料理はあなたのためではないと遠回しに言われ続けた私の心のなかで、違和感はくすぶり続けた。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な連載に「村井さんちの生活」(新潮社「Webでも考える人」)、「犬(きみ)がいるから」(亜紀書房「あき地」)。最新刊は『兄の終い』 。主な著書に『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』など。
最新刊は、エッセイ集『村井さんちの生活』(新潮社)と、翻訳書『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(双葉社)。

ツイッター:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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