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「陰キャ」と「根暗」の違い

時代が変われば言葉も変わる。 そして、言葉の影に必ずついてくるのはその時代の空気。 かつて当然のように使われていた言葉が古語となり、流行語や略語が定着することも。 言葉の変遷を辿れば、日本人の意識の変遷も垣間見え、 直近ではコロナ騒動をめぐり出てきた言葉からも、さまざまなことが読み取れる。 近代史、古文に精通する酒井順子氏の変化球的日本語分析。 【お知らせ】 2022年2月25日に、本連載をまとめた単行本が、『うまれることば、しぬことば』とタイトルを変えて発売されます!

言葉のあとさき 第9回

 若者用語としてよく耳にする、「陰キャ」。陰気なキャラクターの略と思われ、反対語としては「陽キャ」もあるようです。
 この言葉を聞いて大人が思い出すのは、一九八〇年代に流行した「根暗」と「根明」です。根暗の時代から三十余年が経っても、「明」「暗」とか「陰」「陽」などと二分する遊びの魅力は、失われていないようなのでした。
「根暗」はタモリさんが作った言葉である、という話は有名です。大御所司会者であるタモリさんは、デビュー当時はお笑いタレントでした。お笑いに携わっている人は、往々にして明るい性格だと思われがち。
「しかし自分は、根は暗いのだ」
 といった発言があったところから「根暗」は生まれた、とされているのです。
 根の暗さを宣言せずとも、タモリさんは決して明るい性格ではないのでは、という感じは子供心にも抱いていたのですが、しかしこの「根っこは暗い」ことを表現する言葉がウケたのは、当時の時代背景とおおいに関係していましょう。
 一九八〇年代は、明るく、楽しく、軽いことが正義とされた時代でした。フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンのもとに人心を掌握し、日本中に“軽チャー”の魅力を知らしめました。経済は、後にバブルと言われるピークへ向けて、着々と歩を進めていたのであり、八〇年代の人々の浮かれぶりは、すでに史実としてよく知られるところとなっていましょう。
 皆がふわふわとしたものに乗っかってはしゃいでいる八〇年代ではありましたが、しかし全ての人がその状態にしっくりしたものを感じていたわけではありません。周囲のノリに合わせてはしゃぎながらも居心地の悪さを感じる人も多かったのであり、そんな人にしっくりくる言葉が、「根暗」。自分の根っこは暗がりの方につながっている、と思う人は、タモリさんだけではなかったのです。
「根暗」はすなわち、時代の流れに対する反発を告白する言葉でした。第二次世界大戦中、正直な人が、
「どうせ日本は負けるんだから」
 などと呟くと、
「他人に聞かれたらひどい目にあうから、そんなことを言わない方がいい」
 と、近くにいる人はその発言を諌めたのだそう。時代の流れに逆らうという意味では、戦争中の「どうせ負ける」発言と、八〇年代の根暗宣言には共通した部分があるといえましょう。八〇年代にも、「自分は本当は暗い」などと言ったら石もて追われる恐れはあったはずですが、それでも言わずにいられない人はいたのです。
 戦争中、「どうせ負ける」発言を憲兵などに聞かれたら、制裁を加えられたことでしょう。そして八〇年代、
「本当は暗いのです」
 と告白をした人も、周囲からの揶揄によって吊るし上げられることになりました。ギラギラした時代の中では、暗さはダサさ。
「あいつ、根暗だから」
 と、延々と嘲笑されることになりました。
 明るいフリはしているが、根っこは違う。……という意思を表する言葉が「根暗」であったとしたら、今の「陰キャ」は、似て非なる意味を持っているように思います。すなわち、表側だけが明るいのが「根暗」であったのに対して、「陰キャ」の人は、表面だけが暗いのではないか。
「陰キャ」の「キャ」は「キャラクター」の意であるわけで、「陰キャ」という言葉が表現するのは「陰気な性格」ということになりましょう。が、昨今の「キャラ」という言葉の使われ方から考えると、必ずしも「陰キャ」の「キャ」が「性格」という意味で使用されているわけではなさそうです。
「高校まではまじめキャラだったけど、大学に入ったんだしキャラ変したい」
 とか、
「ずっといじられキャラをやってたんすよね、俺」
 といった言葉から理解できるのは、「キャラ」は生まれ持った不変の性格を示しているわけではなさそう、ということ。同じグループの中にキャラがかぶる人がいると違うキャラになってみたり、周囲からの期待に応えて、本来の性格とは異なるキャラを演じることもある模様です。その気になれば変更や上書きが可能な仮面のようなものが、「キャラ」であるらしい。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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