2020.9.10
放課後のジャイアントスイングプリンセス
プロレスを愛する同志、橘さんが陸上部にやってきてから早一か月。うららかな風が吹き抜ける五月の放課後のグラウンドで、私は彼女の口から思わぬ言葉を聞くことになる。
「私な、高校に行かへんかもしれん」
「え? え? なんでなん?」
「親の勧めもあるんやけどな、私、プロレスラーになりたいねん」
「え! マジか! もちろん全女(全日本女子プロレス)? まさか神取忍のLLPW? ブル中野もアメリカから帰ってきたし全女がいいよ!」
「うん、私も全女に行きたい。最近は家でも筋トレばっかりしてるんよ」
「すごいな! うん、全力で応援する!」
「ありがとう! 嬉しい!」
「自分の友達がプロレスラーになるとか最高や! 俺にできることあったら何でもするで? 何かある?」
「……じゃあさ、プロレスごっこに付き合って欲しい。走り高跳びのマットを使えば、技をかける練習とかできそうやん?」
「いいやん! うちには高跳びの選手いないしな。よし、俺らで占領しよう」
高跳び用マットの上に「ぴょん!」と飛び乗る私たち。私は敬愛する武藤敬司の、橘さんは井上京子の入場パフォーマンスの真似をしてからプロレスごっこを始めることに。彼女の夢を叶えるためとはいえ、生まれて初めて経験する女の子とのプロレスごっこ。胸の高鳴りを抑えることなどできようがない。
「どんな技でも受け切ってみせるで。かけてみたい技とかある?」
私の問いにしばらく考え込んだ後、彼女は答えた。
「私、井上京子のジャイアントスイングしてみたい」
「あ、いいやん! この前キューティー鈴木を39回もぶん回してたもんな。あのときの井上京子は最高やった」
「でもマットの上やと足場が悪いかもなぁ」
「それなら運動場でやろうよ。俺、全然痛いのとか平気やし」
そう言って私はグラウンドの上に仰向けに寝転ぶ。
「タタッ……タタッ……タタタタッ!」とトラックを走るチームメイトの足音が私の背中にダイレクトに響いてきて、それが何だか心地いい。五月晴れの澄み切った青空がとても綺麗だ。これからこの空が大回転を始めるんだな。
「いくで、15回ぐらいは回すで!」
私の両足を自分の脇にしっかりと抱え込む橘さん。そのとき、ふくらはぎに微かに感じた彼女の胸の膨らみ。ああ、別の意味でも興奮してしまいそうだ。
「おりゃあっっっ!」
その声を合図に、私の体はふわりと浮き上がり、地面と水平にゆっくりと回転を始めた。
さすが怪力無双の橘さん、平均体重よりも痩せている47キロの私の身体は徐々にその回転速度を増していく。
空が回っている。
ぐるぐる、ただ、ぐるぐると回っている。
なんて気持ちいいんだ。
学校や家であった嫌なことなどすべてどうでもよくなってくる。
ああ、このままずっと君に回されていたい。
もしも願いが叶うなら、中学を卒業するまで毎日俺にジャイアントスイングをしてはくれないか。
そう思った刹那、音にするなら「ズガァン!」という激しい衝撃が私を襲った。
成功したかに見えた橘さんのジャイアントスイングだが、回している途中で足がすっぽ抜け、私の体は勢いよく地面に叩きつけられてしまったのだ。
首、腰の辺りに鈍痛を感じる。これは無理に立ち上がらない方がいいなと判断し、私は静かに目を閉じる。ここはしばらくグラウンドに寝そべっておこう。
ん? 周りがやけに騒がしい気がする。
「キャー! キャー!」と叫ぶ女生徒の声。もしかして頭から血でも出ているのか? とりあえず立ち上がろうとしたそのとき、私は気付いてしまった。
下半身が丸出しになっている。
チンチンが丸見えになっている。
そう、足がすっぽ抜けたのと同時にズボンとパンツも脱げてしまった。
何が起きたのかを把握できず、橘さんは私のズボンを手に持ったまま直立不動の姿勢で固まっている。早くチンチンを隠さねばと焦る私は、近くにあった走り高跳び用のマットの下に自分の体を滑り込ませ、そこから顔だけチョコンと出す。その姿はまるでカタツムリのように。
ようやく我に返った橘さんが、私の元にズボンとパンツを持ってくる。私の姿をしばらく観察した彼女は、もうこらえきれないという感じで笑い出す。
「もうやめてよ。それ、今どういう体勢なん? マットから首だけ出してさ、チンチン丸出しカタツムリやん。もう無理。あははははは!」
「ははは……」
もう、私も笑うしかなかった。