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佐藤誠二朗「グリズリー世代のバック・トゥ・ザ・ストリート」
グリズリー……それは北アメリカ北部に生息する大きな灰色のヒグマの名であると同時に、白髪交じりの頭を形容するスラング。頭にちらほら白いものが目立ち始める40~50代を、アラフォー、アラフィフといってしまえば簡単だけど、いくつになってもオシャレと音楽が大好きで遊び心を忘れない彼らを「グリズリー世代」と名付けよう――
そんな思いを胸に、自身もグリズリー世代真っ只中の著者がおくる、大人の男のためのファッション&カルチャーコラム。

不思議なハンコ屋さんに作ってもらった印鑑に支えられた10年間

世の中こんだけ進んでいるっていうのに、印鑑文化がなくならないことをお嘆きの人もいるようだ。

IT業界なんかで働く人は「いまどき印鑑? バカじゃねえの」と言うかもしれないし、日本よりも急速に諸制度のIT化を進めている台湾では、印鑑を積極的になくす動きが加速しているという記事も最近読んだ。

でも、銀行や役所をはじめ、日本ではまだまだ印鑑が必要な場面が多い。
昔に比べれば、だいぶ省かれてきてはいるが、日本から印鑑がなくならないのはなぜか?
実は、みんな印鑑が好きだからに違いない。

実は僕も、印鑑には得も言われぬ魅力を感じる一人。
シャチハタやそこら辺の文具店、それに百均なんかで売っている大量生産品ではなく、発注して手彫りで作ってもらったちゃんとした印鑑のことだ。

僕は日本一ありふれた苗字の持ち主だけど、オリジナルで作ってもらった唯一無二の印鑑を見ていると、こんな当たり前の苗字もすごく特別なもののように感じられる。

依頼するまでが大変な山本印店のハンコは、惚れ惚れするような唯一無二の美しい印相

僕の持っている認印、銀行印、そして実印の3点セットは、東京の三宿、国道246沿いにある山本印店というハンコ屋さんで10年ほど前に作ったもの。

山本印店は知る人ぞ知る、印鑑界の有名店だ。

印鑑を作るという行為は占い的な要素を多分に含んでいるが、この山本印店のご主人・山本桃仙さんの見立ては非常によく当たると、だいぶ前から評判になっている。

僕もいくつかの話を聞いたが、一番印象に残っているのはコレ。

不運続きでボロボロに疲れたある夫婦が山本印店の噂を聞き、運を変えようと印鑑を作り直すことに決める。
平日、夫が出勤した後、妻が山本印店を訪ねて話をはじめると、主人は血相を変えて「あなた、すぐ旦那さんに連絡を取りなさい」と言ったそうだ。
何事かと思って妻が夫の携帯に電話をすると、長いコールのあとに出た夫は開口一番、「ああ良かった。いま魔がさして、電車に飛び込もうかと……」と言ったそうだ。

だいぶ昔に聞いた話なのでディテールは違うかもしれないし、そもそも都市伝説の類だが、山本印店にはこうした噂がいっぱいある。

山本印店で印鑑を作るのは簡単ではない。

予約をした上で、いま持っているあらゆる印鑑を持って店を訪れ、ご主人に鑑定してもらった後に新しいものを作ってもらえるのだが、まずその予約がなかなか取れない。
月~木の正午から電話のみ受け付けて、翌日のアポイントを取るシステムだけど、それが滅多につながらないのだ。
ここで諦めてしまう人も多いという。
つながるのは縁があった証拠で、それも天の思し召しなのだとか。
それに、手持ちの印鑑を見てもらい、相談をした後でも、「いま持っているもので十分」と、作ってもらえないこともあるそうだ。

僕は10年前、勤めていた会社を辞めてフリーになる決意をした頃に、電話をしてみたらあっさりつながり、印鑑も作ってもらうことができた。
きっと僕には必要だったのだろう。

防犯上、認印しかお見せすることはできないが、作った3本の印相はいずれも、花のような、植物の蔓のような、独特の曲線で描かれた美しい文字。

その後、曲がりなりにもフリーランスとしてなんとか食っていけているのは、この印鑑のおかげもあるのかもしれない。

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佐藤誠二朗

さとう・せいじろう●児童書出版社を経て宝島社へ入社。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わる。2000~2009年は「smart」編集長。2010年に独立し、フリーの編集者、ライターとしてファッション、カルチャーから健康、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動を行う。初の書き下ろし著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』はメンズストリートスタイルへのこだわりと愛が溢れる力作で、業界を問わず話題を呼び、ロングセラーに。他『糖質制限の真実』『ビジネス着こなしの教科書』『ベストドレッサー・スタイルブック』『STUSSY2017 FALL/HOLIDAY COLLECTION』『DROPtokyo 2007-2017』『ボンちゃんがいく☆』など、編集・著作物多数。

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