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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」
不惑が間近に迫る年齢になりつつも、変わらず戦い続ける1980年生まれのアスリートたちに、スポーツライター二宮寿朗氏が迫るこの連載。
中村憲剛選手田臥勇太選手館山昌平投手大黒将志選手玉田圭司選手木村昇吾選手に続く7人目のアスリートは、福岡ソフトバンクホークスの和田毅投手です。

初回は試練を乗り越えるための考え方について、2回目は結果を出しても変わらない客観性の秘密についてお伝えしました。3回目の今回は、ルーキー時代から結果を出し続けた和田投手の“適応力”の凄さに迫ります――

ルーキー時代も復帰1年目も結果を出す! ソフトバンク和田毅の高い適応力の秘密とは?

打者から投球する左手が見づらい独特のフォーム。ルーキー時代から勝ち星を重ねた。(撮影/熊谷貫)
打者から投球する左手が見づらい独特のフォーム。ルーキー時代から勝ち星を重ねた。(撮影/熊谷貫)

「こうしろ」と命じない先輩と、「こうさせてください」と主張しない新人の特別な関係

組織に「なるはや」で適応していく力が、和田毅にはある。

早稲田大学時代、急激に評価を高めた彼は自由獲得枠でホークスに入団。ルーキーイヤーの2004年、ローテーションの一角に定着して14勝5敗(防御率3.38)の好成績でパ・リーグ優勝に貢献し、新人王に満票で選出された。阪神タイガースとの日本シリーズでは第7戦で先発完投して胴上げ投手になっている。

ホークスに和田あり――
これが一年ポッキリの活躍ではなく、5年連続で2ケタ勝利を挙げるなどホークスのエースとして成長していく。その高い適応力の源泉にあるものは一体、何か――

準備、吸収、逆算。
そういったフレーズが出てくるかと思いきや、和田の口から出てきたのは意外な言葉であった。

「いやいや、1年目はいろんなことを考えるというよりも自分のことでいっぱいいっぱいでしたよ(笑)。とりあえず今までやってきたことを、出していくしかない、と。ただ一つ言えるとしたら、投げやすくしてもらったのはすべて城島(健司)さんのおかげ。感謝の思いしかないですね」

当時プロ野球界を代表するキャッチャーであった城島は27歳、脂が乗りまくっていた時期。強肩強打の人はこのシーズン、「3割、30本、100打点」を初めてクリアするなどキャリアハイを記録してリーグMVPに輝く。和田にとって「凄いキャッチャーで凄いバッター」の尊敬する先輩からの一言が大きかったという。

初登板の際、18.44m先にいる城島の姿はとにかく大きく見えたという。
城島は、和田にこう語りかけた。

「サインに首を振りたかったら好きに振れ。逆に振ってくれることでお前の考え方が分かる。でもどうしてもお前にこのボールを投げさせたいという場面では、もう1回同じサインを出す。そのときは俺のことを信じて投げてくれ」

ルーキーの緊張を解き、投球に集中させ、信頼関係を築く先輩の言葉は、和田の心に響きまくった。

「城島さんがそう言ってくれたから、気持ちがすっと軽くなったというか。でも本当に首を(何回も)振ったっていうのは初先発のときくらいだったと思うんですよね」

プロ初先発となった4月1日の近鉄バファローズ戦こそ6回2/3を投げて5失点して敗戦投手となったが、8日後の西武ライオンズ戦で6回無失点と好投してプロ初勝利を挙げている。そこからは順調に勝ち星を積み上げていく。首を振らなくて済んだのも、城島が投げやすいようにしてくれたから。逆に言えば和田も自分をさらけ出して委ねる勇気があったからこそ、最高の信頼関係を築けたと言えるのかもしれない。

「こうしろ」と命じない先輩と、「こうさせてください」と主張しない新人。尊重の関係性が、和田の活躍を引き出したようにも見えてくる。

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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