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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」
不惑が間近に迫る年齢になりつつも、変わらず戦い続ける1980年生まれのアスリートたちに、スポーツライター二宮寿朗氏が迫るこの連載。
中村憲剛選手田臥勇太選手館山昌平投手大黒将志選手に続く5人目のアスリートは、V・ファーレン長崎の玉田圭司選手。初回はJ1復帰を目指して戦う長崎で奮闘する今の哲学について、2回目は、幼少時代から高校時代についてお伝えしました。今回は、プロになり日本代表として大活躍する玉田選手に迫ります――

「(ケガを)早く治して、代表のファミリーに戻ってきてくれ」。長崎FW玉田圭司、ブラジル戦ゴールの一因となったジーコの言葉。

ドイツW杯ではブラジルから玉田が先制点をたたき出す。が、その後4点を取られ完敗。  「悔しかったです、本当に」(撮影/熊谷貫)
ドイツW杯ではブラジルから玉田が先制点をたたき出す。が、その後4点を取られ完敗。 「悔しかったです、本当に」(撮影/熊谷貫)

ロナウジーニョを筆頭にブラジル代表は、本気で遊んでいる感覚だった。

開き直るには、それまでのプロセスが大切になる。
積み重ねてきた背景があるから、ここぞのところで開き直ることができる。

2006年6月22日、ドルトムント。

玉田圭司はドイツワールドカップ3戦目にして初めて先発のチャンスを得た。グループリーグはここまで1分け1敗。突破するためには優勝候補でここまで2連勝しているブラジルに対して2点差以上の勝利が最低条件だった。

チームにも重苦しいムードが漂うなか、彼は明らかにテンションが違っていた。

「試合の当日にジーコに呼ばれてスタメンを告げられて、自分としては“何かしらできるんじゃないか”って気持ちが高まっていました。勝っても点差のことがあるから、グループリーグが絶望的と言われていて……だったら、もう開き直ってやろう、と。ブラジルとワールドカップでやれるなんて、こんな機会ないじゃないかって」

一縷の希望が、日本に見えた。
前半34分だった。玉田はトップから降りて中田英寿から受け取ったパスを稲本潤一に渡す。ボールは左サイドの三都主アレサンドロへ。中に向けてドリブルして相手を引きつける動きを見て、玉田はラストパスを呼び込む。パスの速度を殺さぬまま左足でミートしたシュートはゴール左に突き刺さった。これまでの鬱憤を晴らすような、スピーディーかつ連動美に満ちた日本らしいゴールであった。

しかしこの後、目を覚ましたブラジルから4点を叩き込まれて完敗を喫する。先制点を奪えたからこその経験。玉田は言う。

「悔しかったです、本当に。でもブラジルみたいにサッカーをやってみたいなって心から思いました。僕らは遊ばれている感覚で、ブラジルは本気で遊んでいる感覚。ロナウジーニョがまさにそう。心の底から楽しんでいるなって伝わってきましたから」

次に向かうためのステップ。玉田の開き直りがなかったら、日本サッカーに及ぶこの無形の財産を手にすることはできなかったのかもしれない。

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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