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満員の日産スタジアムを求め続けた兵藤慎剛。その願いが叶った2013年ホーム最終戦への消えない想い

2014年1月1日。改修前の国立競技場では最後となる天皇杯決勝。(写真/©1992 Y.MARINOS)
2014年1月1日。改修前の国立競技場では最後となる天皇杯決勝。(写真/©1992 Y.MARINOS)

Jリーグ開幕後、初となる天皇杯制覇

 最終節、アウェイの川崎フロンターレ戦(12月7日)に勝利すれば優勝という状況に変わりなかった。しかしながら0‐1で敗れ、よもやの2連敗で眼前にあったリーグ制覇を取り逃がしてしまう。ベンチに下がっていた兵藤も、呆然と立ち尽くすしかなかった。
 チームとしてどのように臨めば良かったのか。自問自答を繰り返したという。

「普通にやることが一番勝つ可能性の高いチームではあったんです。でも最後の最後に、優勝という普通じゃないことが絡んできた。その普通の基準をもう1段階上げないといけなかったのか、逆に(優勝を目前にして)うまくいっているタイミングで自分たちを見直さなきゃいけなかったのか……。うまくいっているときに変えるって難しいじゃないですか。そういったことを考えさせられたし、勝って学べたら一番良かったんですけど、負けたことで気づけた部分もありました。この年はキー坊(喜田拓也)が1年目でチームにいましたし、この悔しい経験が、将来的に2019シーズンのリーグ優勝につながっていると僕はそう捉えたいですね」

 失意のままでシーズンを終わりたくはなかった。この最高のチームで勝てなかったことを認めたくはなかった。それでも「気持ちの転換ができないまま」に天皇杯の戦いに入った。
 大分トリニータとの準々決勝(12月22日、大分銀行ドーム)は延長戦の末に2‐1でなんとか振り切り、準決勝のサガン鳥栖(12月29日、日産スタジアム)は終盤までスコアが動かない展開。均衡を破ったのが兵藤だった。ゴール前で何人もが絡み、最後は藤田祥史が落としたボールをワンタッチで流し込んだ。自分のイメージとチームのイメージが合致する美しいゴール。チームとして息を吹き返すきっかけになった。

「準々決勝ですんなり勝っていたら準決勝で負けていたかもしれません。苦しくとも勝ったことで、天皇杯をしっかり優勝しようという雰囲気になりましたから」

 国立競技場での元日決勝――。相手はリーグで逆転優勝を飾った因縁のサンフレッチェ広島だ。齋藤学、中澤佑二のゴールで2‐0と快勝し、兵藤にとって入団以来喉から手が出るほどほしかったタイトルを獲得することができた。F・マリノスの天皇杯制覇は、1992年の日産FC横浜マリノス時代以来、実に21年ぶり、Jリーグ開幕以後は初めてのことであった。

「もちろん優勝できたのはうれしいし、サンフレッチェにリベンジすることもできた。とはいえ、やはり心の底から喜べたかって言われるとそうじゃない。みんな心のなかにリーグ戦の悔しさを持ちつつの優勝だったかなとは思います」

2-0で勝利し優勝! 中央でカップを持つ兵藤さん。左横には現F・マリノスのキャプテンで当時ルーキーだった喜田拓也選手の姿も。(写真/©1992 Y.MARINOS)
2-0で勝利し優勝! 中央でカップを持つ兵藤さん。左横には現F・マリノスのキャプテンで当時ルーキーだった喜田拓也選手の姿も。(写真/©1992 Y.MARINOS)
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新刊紹介

二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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