2026.7.3
髙橋義明 自分なりのやり方で「アートと社会を繋ぐ」 【実録・メンズノンノモデル 第8回 前編】
今回のゲストは、2011年にメンズノンノ初の公開オーディションでグランプリを受賞し、2019年まで8年にわたって誌面で活躍した髙橋義明さん。現在は江戸川区に「東葛西1-11-6 A倉庫」という屋号のアトリエ兼展示スペースを構え、様々な形で「アートと社会を繋ぐ」活動に従事している彼に、まずは武蔵野美術大学で建築を学びながらメンズノンノモデルを志した理由から語ってもらった。
取材・文/徳原 海 撮影/山田 陽
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建築家になりたかった僕が、メンズノンノモデルを目指した理由
今からちょうど15年前。2011年、メンズノンノは創刊25周年プロジェクトの一環として、初めて専属モデルのオーディションを公開オーディション形式で開催。そこでグランプリを勝ち取ったのが、髙橋義明だ。グランプリ受賞は盛大な25周年イベントのステージ上で発表。建築家をめざし、武蔵野美術大学の建築学部で学んでいた彼の人生が、その一夜から思いがけない方向へと動き出していった。
髙橋義明(以下、髙橋) 懐かしいですね。あのとき、ファイナルに残った候補者は全員ステージで何かしら出し物をすることになっていたのですが、最初プロフィールの特技欄にバスケットボールと書いたらフリースローをやったらどう、となり、それはまずいなと(笑)。代わりに、自分がメンズノンノの表紙になったグラフィティをステンシルで描いたんです。
美大生らしく、瑞々しいアートパフォーマンスで自己を表現した髙橋。飄々とした佇まいに独特の感性を秘めたキャラクターの登場は、当時メンズノンノモデルOBを代表してイベントで審査員を務めた俳優の谷原章介も絶賛したほどだ。
髙橋 僕はこのとおり顔も小さいですし(笑)、準グランプリぐらいはいけるんじゃないかななどと根拠のない自信があったのですが、グランプリはさすがに無理だろうと思っていたので(グランプリに)選ばれたときはびっくりしましたね。

建築家を志していた髙橋が、本来ならば就職活動真っ只中であるはずの美大3年時にメンズノンノモデル募集に応募したのには彼なりの理由があった。
髙橋 大学2年の最後の課題が「大学の敷地内に新校舎を建てる」という設計テーマだったんです。しかし僕は、自分が設計したものが馴染みのある場所に建つことを想像したときに怖さを感じてしまって。(建築が)風景や環境を変えることに対して、はたして自分はそこまで責任が持てるのかと。そんなふうに、建築そのものに対していろいろと悩み始めた時期でした。
そのモヤモヤに拍車をかけたのが、2011年3月に起きた東日本大震災である。私たちの多くがそうであったように、彼もまた、それまで当たり前だと思っていた自分の価値観や人生観に自ら疑問を投げかけていた。
髙橋 震災は大きなきっかけでした。「建築を学んでいても何もできない」と、無力さを感じつつ、同時に、尊敬する建築家の方々が社会に対してどういうふうにアクションしているのかを追いかけました。すると、その過程で、行政と建築家、そしてメディアと建築家の間にはある種の隔たりがあることを学生なりに実感したんです。そこで、僕の頭に浮かんだのがメンズノンノの存在。建築とファッション誌。一見かけ離れているように思えますが、美大だったこともあって、学内のファッションショーや服飾コースの先生が作る服のモデルを務めさせてもらうなど入口がいろんなところにありました。だからメンズノンノをマスメディアのひとつと捉え、「社会とメディアと建築との接点を見出したい」という思いでモデル募集に応募しました。

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