よみタイ

満員の日産スタジアムを求め続けた兵藤慎剛。その願いが叶った2013年ホーム最終戦への消えない想い

リーグ優勝できなかった経験も指導者の立場で活かしていきたい

 その後、クラブは転換期を迎えることになる。マンチェスター・シティFCのホールディング会社「シティ・フットボール・グループ」(CFG)が経営に参画することになり、2015シーズンからフランス人のエリク・モンバエルツ監督が就任。兵藤はその年のセカンドステージからサブに回ることが多くなった。

「試合に出られない時間が長くなってきて、だけどF・マリノスを勝たせたいという気持ちは変わらないなかで葛藤がありました。自分のなかではもっとできると思っていたし、どこにそのエネルギーをぶつけていけばいいのかが難しかった。“何かが足りないから出られないんだよ”、というところでもっと自分を深掘りしなきゃいけなかったし、自分自身にもっと矢印を向ける必要があったのかなと今となっては思います。
 外国人監督のもとでプレーするのが初めてで、モンバエルツさんは、スピードがあって強いタイプをウイングに望んでいました。自分はそういう選手じゃないんだから、何を表現してどう認めさせるかという、そこに対するパワーが足りていなかった。もし求められるスプリント能力を伸ばしておけば、もっと自分の可能性を広げられたかもしれないし、そこを持ったうえで周りとの違いを示すことができていれば使ってもらえていたんじゃないかな、と。当時はそこまで考え切れない自分の未熟さがありました。自分の考えはこうだって固執しすぎたところがあったかなと思います」

 翌2016シーズンも兵藤の出番は増えず、かつチームも10位と9年ぶりに2ケタの順位で終えた。シーズンを通してフルに働いた〝盟友〟小林の契約非更新にも大きなショックを受けた。「選手だけが責任を取らされるのか」というクラブに対しての不信に似た感情がこみ上げてくることもあった。ついにはシーズン後、オファーが届いた北海道コンサドーレ札幌への移籍を決断する。

「メチャクチャ悩みましたし、はっきり言って本当に苦しかったです。9年間F・マリノスにいて、このクラブで全部やり切るんだろうなって思っていましたから。移籍して新しいチャレンジをするか、もう一度マリノスで勝負するか。人生の選択のなかで一番迷ったかもしれません。でも、最終的にはチャレンジしてこその人生だし、やっぱり試合に出たい。シンプルに、そこが決め手になりました」

 コンサドーレで2シーズンを過ごし、ベガルタ仙台、SC相模原でもプレーして2022年2月1日、引退を発表する。F・マリノスを離れても愛着はずっと持ち続けていた。

「Jリーガーになりたいと思ったのも1993年5月15日のJリーグ開幕戦を見て、マリノスのトリコロールのユニフォームがかっこいいなって憧れたから。実際にチームの一員になったら、今度は憧れの存在にしていく役割を担わなきゃいけないと思ってやっていました。クラブを離れてからは、対戦する試合ではもちろん勝ちたいけど、自分たちのチーム以外で優勝するのはどこがいいかって言われたらやっぱりF・マリノス。2019シーズンの優勝も、昨2022シーズンの優勝も本当にうれしかったですよ」

 兵藤は今年、指導者として新しいチャレンジに踏み切る。関東大学リーグ2部に降格した母校・早稲田大学ア式蹴球部の監督に就任したのだ。現役時代と同じくコミュニケーションを密にして、競技力はもちろんのこと、人としての成長も促していきたいという。

「監督1年目だからとかは、学生にとっては関係ないこと。そこには甘えたくないし、自分がやれることを100%出して、学生の成長につなげていきたいと考えています。学生からも今の世代の価値観など、いろんなことを学んでいければいいですね。(2013年に)リーグ優勝できなかった経験は今でも自分の学びになっているし、指導者の立場で活かしていければいいかなと思います」

 最高のチームでプレーできた喜びも、優勝を取り逃がしてしまった悔しさも、矢印を己に向けられなかった未熟さも、常にチャレンジしていく姿勢も、すべて自分の肥やしにして――。兵藤慎剛が歩みを止めることはない。

(終わり)

【プロフィール】
ひょうどう・しんごう/1985年7月29日生まれ、長崎市長崎県出身。
国見高校では全日本ユース、インターハイ、高校選手権を制し、3大タイトルを獲得。国見歴代最高のキャプテンとも評される。早稲田大学に進学し、当時、東京都リーグ所属だったア式蹴球部に入部。在学中は、U-20日本代表として、2005年のワールドユースに背番号10とキャプテンとして出場。最終学年の2007年度にはインカレで優勝しMVPを受賞。
2008シーズンより横浜F・マリノス加入。2009シーズン副キャプテン、2010シーズンは栗原勇蔵とともにキャプテンを務める。2017シーズンに北海道コンサドーレ札幌に移籍。その後、ベガルタ仙台、SC相模原を経て2022年引退。2023年より早稲田大学ア式蹴球部監督に就任。
J1リーグ338試合出場36得点(F・マリノス在籍時、268試合出場32得点)

「我がマリノスに優るあらめや 外伝」特集
第1回 30周年のJリーグ開幕! 連覇を目指す横浜F・マリノスは、時代をけん引するクラブになれるのか?
第2回 引退覚悟で臨んだアトランタ五輪の10番。 遠藤彰弘が語る、マリノス初優勝と上野良治
第3回 F・マリノスで3度のリーグ優勝に貢献した遠藤彰弘。 「強いF・マリノスでいてくれるのは本当に嬉しいし、誇りでもある」
第4回 国見、早稲田、F・マリノスでもキャプテン。「考えるマルチロール」兵藤慎剛が意識していたコミュニケーション法
第5回 満員の日産スタジアムを求め続けた兵藤慎剛。その願いが叶った2013年ホーム最終戦への消えない想い

即重版決定! 『我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語』

2022年、創立30周年を迎えた横浜F・マリノス。前身となる1972年の日産自動車サッカー部の設立からは、ちょうど50年になった。
Jリーグ創設以来、リーグ制覇5回、一度の降格もないトップクラブとして存在し続ける「伝統と革新」の理由を、選手、監督、コーチなどチームスタッフはもちろん、社長をはじめクラブスタッフまで30名を超える人物に徹底取材。「マリノスに関わる人たちの物語」を通じて描きだすノンフィクション。

詳細はこちらから。デジタル版もあります!

1 2 3 4 5

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

週間ランキング 今読まれているホットな記事