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僕にだけ聞こえてくる音

僕にだけ聞こえてくる音

 逆さまの男の頭が、床に激突した。
 僕は悲鳴を上げて、母親の部屋へ駆けこんだ。騒ぎを聞いた姉も、そこに入ってくる。
「だからね、気のせいだって言ってるでしょ」
 二人はいつもの台詞をはいて、僕をなだめようとする。
「気のせいじゃない!」
 この時ばかりは、僕も興奮して言い返す。母もつられて大声をあげる。
「仕方ないでしょ! あんた、あんな……大変な目にあったんだから。ショックでおかしくなってるだけなの!」
 大変な目? なにを言っているのかわからない。きょとんとした僕の顔を、母と姉がいぶかしげに見つめてくる。
「……本当になにも覚えてないの?」
 母は言葉を選びながら、一か月前の出来事を語ってきた。
 
 その時、中学校から帰宅した僕は、飛び降り自殺の現場を目撃したというのだ。
 うちのマンションから、一人の男が身を投げた。真っ逆さまに、僕のすぐそばへと落ちてきた。そして目の前の地面に激突した。
「だからそんな……ショックで変な幻覚を見たって、仕方ないでしょう」
 そうだったかもしれない。よく思い出せないけど、そんな気もする。なにより、精神的なショックとした方が色々説明がつくし、意味不明な状態よりよっぽどマシだ。
「……あんたも落ち着いてくれば、だんだん心の整理も」
 
 バアン!
 
 すぐそばで、またあの音がした。一瞬ギクリとしたけど、すぐに気を取り直したので、周りを観察することができた。だから、母と姉が目を見開き、ぎゅっと顔をこわばらせたのを、僕は見逃さなかった。
 ──なんだ、二人も聞こえてるんじゃないか。
 
 その夜からずっと、僕たちは三人、川の字になって寝るようにした。
 幸い、音が鳴る頻度は、だんだん減っていった。三日に一度、一週間に一度と、忘れた頃に響くようになったので、なんとか我慢できた。
 それでもこの現象がすっかり消えるまでに、三年はかかった。引っ越せばよかったとも思うのだが、父が残した借金のために、それもままならなかった。
 三年後、母は再婚した。そこでようやく、皆でこのマンションを出ることができた。
 それからというもの、僕は一度もあの音を聞いていない。

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7月の『日めくり怪談』特集一覧
7月2日 夜道を歩く女性の二人組が向かう先
7月4日 設置されては撤去されるブランコの秘密
7月6日 クラスメイトの机に置かれた手紙
7月9日 誰も来ないはずの男子トイレで目にしたもの
7月13日 息子に見えている母の顔
7月15日 内線電話から聞こえてくる声
7月19日 祖母に禁じられた遊び
7月22日 僕にだけ聞こえてくる音
7月27日 この子は大人になる前に死ぬから
7月30日 隙間から入り込もうとするもの
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新刊紹介

吉田悠軌

よしだ・ゆうき
1980年東京都出身。怪談、オカルト研究家。怪談サークル「とうもろこしの会」会長。オカルトスポット探訪マガジン『怪処』編集長。実話怪談の取材および収集調査をライフワークとし、執筆活動やメディア出演を行う。
『怪談現場 東京23区』『怪談現場 東海道中』『一行怪談』『禁足地巡礼』『日めくり怪談』『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』『現代怪談考』『新宿怪談』『中央線怪談』など著書多数。

Xアカウント @yoshidakaityou

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