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老舗の専門誌が主導するか『日本レースクイーン大賞』、その壮絶な投票バトルのウラ側とは!?

老舗の専門誌が主導するか『日本レースクイーン大賞』、その壮絶な投票バトルのウラ側とは!?

RQ大賞に挑むのがトラウマとなっていたレースクイーンの意識を変えたものとは?

そして、2019年。さる12月13日(金)にファイナリスト20名が発表された。その中の一人が、「TEAM UPGARAGEドリフトエンジェルス」でレースクイーンを務める神尾美月 さんだ。

彼女もまた、過去に挫折を味わい、今年はいあがってきた。

「日本レースクイーン大賞には、全員がトライできるこのイベントと、コスチューム部門、そして新人部門と三つあるんですが、わたしはレースクイーン1年目のときに、その部門でくじけてしまいました……。グランプリ1名、準グランプリ2名が選出されるのですが、私はあともう一息のところで手が届かず、なにも獲れなかった。単純に頑張りが足りなかったんですね。翌2017年にドリフトエンジェルスに入るのですが、せっかくいいチームに呼んでもらえたのに、1年目のトラウマを引きずったままでした」

神尾さんのトラウマは続き、3年目も名門チームに入ったものの、自発的な行動を起こすことなく、結果、ファイナルステージにも進めずじまいだった。

意識が変わる転機となったのは、今シーズン。ふたたびドリフトエンジェルスに声をかけてもらえたことだった。

「10周年を迎えたドリフトエンジェルスに帰ってこないかって、スーパーバイザーの南香織さん(詳しくは本連載第5回を参照)からお呼びがかかったんです。10年の歴史のなかで、“出戻り”のケースは前例がなかったので、びっくりしたと同時に、光栄なことだと感じました。しかも、シーズンが始まったあと、ドリフトエンジェルスが今年の12月いっぱいで活動休止になると聞かされて、さらに驚いて。

それで、ふと思ったんです。これは運命だと。ならば、私が最後のドリフトエンジェルスとして、レースクイーン大賞の授賞式に立ちたい! そう決心したんです」

林さんにならうようにして、神尾さんもまた、1月の早い段階からSNSでグランプリ獲得への意志を表した。ほんのわずかな時間を見つけては、ツイッターはもちろん、ライブ配信アプリでも積極的に呼びかけを行ってきた。

そんなひたむきな努力を、ファンは見逃さなかった。ふたたび、神尾さんの話。

「長年、ドリフトエンジェルスを応援してくれている、あるファンの方に言われたんです。『去年、みーにゃ(神尾さんの愛称)は頑張っているとは思えなかった。だから、僕は林 紗久羅ちゃんを推した。でも、今年は違う。みーにゃは本気を出している。応援するよ』。胸に突き刺さりましたね。熱意をもって、努力を続けていれば、ちゃんと見てくれている人は必ずいるんだと、しみじみ思いました。だから、どうしても立ちたいんです、あの舞台に」

「日本レースクイーン大賞2019」のファイナルステージ投票は、明日12月16日から始まる。17日には、ファイナリスト20名による政見放送も行われる。あけて2020年1月5日、投票の受付は終了する。

1月11日、東京オートサロンの特設ステージ。10周年の節目を迎える日本レースクイーン大賞の頂点に立ち、歓喜の涙を流すのは果たして誰なのか……。その行方に注目したい。

次回は、こんな職業に就いていた人が、なぜレースクイーンに!? その動機や背景について、深くリポートする予定です。ご期待ください!!

バナー写真提供/GALSPARADISE

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高橋史門

たかはし・しもん●エディター&ライター。1972年、福島県生まれ。日本大学在学中に、「思想の科学」にてコラムを書きはじめる。卒業後、「Boon」(祥伝社)や「relax」、「POPEYE」(マガジンハウス)などでエディター兼スタイリストとして活動。1990年代のヴィンテージブームを手掛ける。2003年より、「週刊プレイボーイ」や「週刊ヤングジャンプ」のグラビア編集、サッカー専門誌のライターに。現在は、編集記者のかたわら、タレントの育成や俳優の仕事も展開中。主な著作に「松井大輔 D-VISIONS」(集英社)、「井関かおりSTYLE BOOK~5年先まで役立つ着まわし~」(エムオンエンタテインメント※企画・プロデュース)などがある。

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