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2日間のギャラは50万円!? 80年代後半から始まった”レースクイーン・バブル”は、こんなにスゴかった!
“レースクイーン”の本音や実像、歴史に真摯に迫り、あまり知られていないその実態、歴史、経済事情など多角的に迫るこの不定期連載。
初回は、F1グリッドガール廃止で揺れる世論をよそに、日本のレースクイーン文化は独自に確立し盛り上がっている現状を、第2回は、日本におけるレースクイーンの源流が戦前にあった事実を伝えました。今回の第3回は、今に続くレースクイーンのスタイルが登場し、バブルとともに盛り上がりを見せていった80年代~90年代前半のエピソードを、古参のカーレーサー、そして当時活躍したレースクイーンOGに聞きました。

2日間のギャラは50万円!? 80年代後半から始まった”レースクイーン・バブル”は、こんなにスゴかった!

97年のレースクイーン。80年代からの名残を受けているのか、 ハイレグ水着にスポンサー企業ロゴをON。(写真/産経新聞社)
97年のレースクイーン。80年代からの名残を受けているのか、 ハイレグ水着にスポンサー企業ロゴをON。(写真/産経新聞社)

80年代、黎明期のレースクイーンは「パラソルガール」と表記されていた。

サーキットで、スポンサー企業のロゴが入った衣装を身にまとい、レーサーに日よけ傘をさす。
これが、現在のレースクイーンの基本形である。

では、その発祥とは? 

自動車総合ニュースサイト『clicccaar(クリッカー)』の小林和久編集長によると、「日本のオートバイレースno.1である『鈴鹿8時間耐久レース』で、80年代半ばだそうです。私が聞いた話では、開催時期の真夏、とあるチームの女性がライダーに日よけの傘を差したとか。そしたら、彼女にカメラが殺到した。これはいい広告塔になるということで、その女性の衣装にメーカーのロゴを入れて立たせたのだそうです」とのこと。

このスタイルは瞬く間に浸透していった。当時の様子を掲載した2輪レース雑誌『ライディングスポーツ』(絶版。現在は、ASB電子書籍書店で発売)の特集記事では、レースクイーンの名前はまだ存在せず、パラソルガールと表記されていた。

80年代の黎明期をじかに知る人物がいる。

カーレースのスーパーGTで超ベテランとして活躍を続ける、「R’Qs MOTOR SPORTS」代表の和田久選手(56歳)。84年にレースデビューした和田選手が最初にレースクイーンを見たのは85年。当時、国内トップカテゴリーのひとつだったフォーミュラカーのF2選手権でのことだった。

「キャンギャル(レースクイーン)は、一部のチームから出ていたんですよ。たばこメーカーがスポンサードしていた。『マールボロ』や『ジョン プレイヤー スペシャル』とかね。今の凝った作りの衣装と比べたら、とてつもなくシンプルな衣装でした。たとえば『マールボロ』は、白いハイレグ水着にロゴがズバッと斜めに入っているタイプ。『ジョン プレイヤー スペシャル』は、商品パッケージのカラーリングをそのまま反映させて、黒いハイレグ水着の胸の真ん中あたりに金色のロゴが入っているという感じでしたね」

バブル景気に湧く80年代後半は、目に見えてレースクイーンの数が増えていったという。

フォーミュラーカーの最高峰F1のブームとあいまって、F1直下のカテゴリーであるF3000選手権が国内のカーレースで最も人気を集めることに。各大手企業はこぞって金をつぎ込み、プロモーションに精を出したことで、サーキットは大にぎわい。現在、女優など多方面で活躍する高島礼子さんや飯島直子さんなどが、若手注目株として華を添えていたのも、ちょうどこのころである。

もうひとり、バブルの繁華を目のあたりにしたドライバーがいる。

和田選手と同い年であり、「R’QsMOTOR SPORTS」でパートナーを務める、城内政樹選手。ここ数年、個人スポンサーを募り、レース車体にその出資主の名前を載せるというユニークなビジネスを展開中。「鈴鹿サーキットスクール」で20年以上にわたる専任講師の経歴ももち、世界的なレーサーの中嶋一貴選手や山本左近選手など、数多くの教え子をかかえる“レジェンド”である。

「僕はもともとレーシングカート(著者注:パイプフレームにむき出しのエンジン、タイヤなどを取り付けたミニマムでシンプルな競技用車両)出身で、83年から11年間やっていました。レースクイーンをはじめて見たのは、88年の全日本カート選手権かなあ。サポートしてくれているレーシングカートの輸入代理店が、ファンサービス向けのブースを出展するとともにレースクイーンを派遣させるシステムを、その大会で初めてやったんですよ。

インパクトはありましたね。僕からすれば、F1のテレビ中継でしかレースクイーンは見たことなかったし、国内のF3000選手権に彼女たちが立ってるっていうことは知ってたけど、別世界っていう感じだったから。それが、カートの大会まで進出してきたわけですからね。衣装は、たしかハイレグ水着だったかな。髪型はワンレン。でもみんなウブな感じでね。いい成績を残せたので、傘をさしてもらうという特別な扱いを受けてうれしかったですね(笑)」

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高橋史門

たかはし・しもん●エディター&ライター。1972年、福島県生まれ。日本大学在学中に、「思想の科学」にてコラムを書きはじめる。卒業後、「Boon」(祥伝社)や「relax」、「POPEYE」(マガジンハウス)などでエディター兼スタイリストとして活動。1990年代のヴィンテージブームを手掛ける。2003年より、「週刊プレイボーイ」や「週刊ヤングジャンプ」のグラビア編集、サッカー専門誌のライターに。現在は、編集記者のかたわら、タレントの育成や俳優の仕事も展開中。主な著作に「松井大輔 D-VISIONS」(集英社)、「井関かおりSTYLE BOOK~5年先まで役立つ着まわし~」(エムオンエンタテインメント※企画・プロデュース)などがある。

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