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バブル崩壊、どこ吹く風。吉岡美穂など伝説のカリスマ・クイーンたちが明かす、2000年代“第二次黄金期”とは!?
“レースクイーン”の本音や実像、歴史に真摯に迫り、あまり知られていないその実態、歴史、経済事情など多角的に迫るこの不定期連載。
前回は、バブル経済とともに隆盛をきわめた80~90年代前半の驚愕エピソードの数々をお伝えしました。今回の第4回は、90年代末にギャランティなど待遇面で厳しい状況におかれるも、レースクイーンの底力を見せつけ、2000年代にふたたび黄金期を迎えたころの当事者たちによる貴重な証言をリポートします。

バブル崩壊、どこ吹く風。吉岡美穂など伝説のカリスマ・クイーンたちが明かす、2000年代“第二次黄金期”とは!?

01年の「富士スピードウェイレースクイーン」。それまでのハイレグ水着仕様とは一線を画し、 セパレートタイプの凝ったコスチュームを身にまとっている(写真提供/産経新聞社)
01年の「富士スピードウェイレースクイーン」。それまでのハイレグ水着仕様とは一線を画し、 セパレートタイプの凝ったコスチュームを身にまとっている(写真提供/産経新聞社)

レースクイーン界に登場した“救世主”

90年代が終わりを告げるころ、“レースクイーン・バブル”も消え失せていた。

特に、待遇面。かつての数10万円単位の高額ギャランティーや特注アイテムの支給、ヘア&メイクの帯同といった蝶よ花よの扱いは、今は昔の物語になっていた。

00年代前~中期にレースクイーンを最も多く輩出したプロダクション、フェイスネットワークの元・幹部がこう振り返る。

「90年代末頃から00年代初頭にかけて、ノーギャラでいいから、レースクイーンを出させてくれっていう事務所さんが出てきたんですよ。言ってみれば、経費は自社負担という“持ち出し”を提示したわけです。そうすると、レースクイーンのギャラ相場は必然的に下がりますよね。最低ラインで、二日間稼働で2~3万円ぐらいまで値崩れしました。レーシングチームによっては、『レースクイーンなんて、“派手な飾り”はいらないよ』とか、コストの問題でサーキットに立たせるのは見送るっていうところも出てきたんです」

ギャラの下落どころか、採用すらしないというチームが出始めた状況下、いっそレースクイーン・ビジネスから手を引くという選択肢はなかったのか? 前出の元・幹部の話。

「いや、そこはバブルの余波というか、レースクイーンを足がかりに女優やタレントとして羽ばたくというチャンスはまだ残っていたのです。00年代初め、知名度を上げる手段として、レースクイーンは依然として有効でした。だから、当時のフェイスネットワークは“持ち出し”という選択肢はとらず、ギャランティをいただく代わりに、できるかぎりクオリティの高い女の子を送り込んで、手を広げていきました。ウチを含め、プライドをもって、良質なレースクイーンを送り続けるプロダクションも一方で存在していたのです」

2000年、まさに“救世主”が登場する。

レースクイーンをきっかけとして、その後CMをはじめ、映画やドラマなどで一躍脚光を浴びたカリスマ・クイーン。現在も、女優・タレントとして第一線で活躍している吉岡美穂さんだ。

元々、幼稚園教諭をつとめる実姉の背中を追うようにして、保育士を目指していた彼女は当時、20歳になるまでのアルバイト感覚で、今の所属事務所へ入った。デビューは、全日本GT選手権。現在、カーレースの国内トップカテゴリーに位置するSUPER GTの前身である。

「レースクイーンとしてサーキットデビューしたころ、想像以上の暑さや寒さで、本当にびっくりした記憶があります。強い寒風に吹きさらしになったり、夏の直射日光にずっと照らされ続けたりとか。でも、ここで寒いからといってガタガタ震えたり、暑いからといってつらそうな顔をしたら、もう次の仕事はないと自分に言い聞かせて、一生懸命笑顔を作りつつ、必死で耐えていましたね(苦笑)」

翌2001年、吉岡さんは第1回『レースクイーン・オブ・ザ・イヤー』を受賞。デビューからわずか1年程度で頂点をきわめた。

「ちょうど、私がレースクイーンを始めて少し経ったあたりから、レースクイーン専門誌が次々と創刊されたんです。来る日も来る日も、表紙をはじめ取材と撮影が続きましたね。私のなかでレースクイーンの活動といえば、週末のサーキットでの業務と、専門誌の取材撮影。このふたつしか浮かばないくらいです。そんな中、『レースクイーン・オブ・ザ・イヤー』を受賞できたことはすごく嬉しかったし、思い出深いですね。たとえて言うなら、サッカー選手がバロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手賞)を受賞する、みたいな」

2002年以降は、アデランスをはじめ、日清食品『麺の達人』や日本コカ・コーラ『ジョージア』など、様々なCMのメインキャラクターに抜擢。吉岡さんはレースクイーン出身の“新・癒し系クイーン”として存在感を示していく。

「当時は、自分の中でひとつひとつ目標を立てていたんです。『この雑誌の表紙をとろう』とか、『この番組に出られるようにしよう』とか。出会った人たちの期待は裏切らないように、とにかく信頼してもらえるようにする。楽しみを見つけながら、仕事をしていましたね」

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高橋史門

たかはし・しもん●エディター&ライター。1972年、福島県生まれ。日本大学在学中に、「思想の科学」にてコラムを書きはじめる。卒業後、「Boon」(祥伝社)や「relax」、「POPEYE」(マガジンハウス)などでエディター兼スタイリストとして活動。1990年代のヴィンテージブームを手掛ける。2003年より、「週刊プレイボーイ」や「週刊ヤングジャンプ」のグラビア編集、サッカー専門誌のライターに。現在は、編集記者のかたわら、タレントの育成や俳優の仕事も展開中。主な著作に「松井大輔 D-VISIONS」(集英社)、「井関かおりSTYLE BOOK~5年先まで役立つ着まわし~」(エムオンエンタテインメント※企画・プロデュース)などがある。

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