2020.10.19
第14回 香りを喰む
野菜を洗ったりちぎったりしながら、生で食べたらどんな味だろうと考える。
カリフラワー、かぼちゃ、ほうれん草、れんこん。薄切りにして手早く口に運び、あっちを向いてあくびするふりをして味見をする。どうしたわけか必ず子どもが目敏く見つけて、
「いま食べたそれ、なに」
向こうの部屋から唇を尖らせ、あっという間に台所へやってくる。子ども時代の私に瓜ふたつである。
これはおいしいと驚いたのが、生の小松菜だ。水に通してちゃっちゃと振って水気を切り、夢中で一枚食べてしまうこともある。
火を通せば、おひたし、胡麻和え、味噌汁の具に。辛子和えにしてもおいしいし、油揚げと一緒に煮てこれほど合う組み合わせはない。ほうれん草と人気を二分するが、香りのよさとアクの少なさでは小松菜に軍配が上がる。秋の深まりとともに葉はぴんと張り、いっそう甘みを増していく。だからこその、生食の提案である。
私がおいしいと思う食べ方を紹介する。
小松菜は根本の泥までよく洗って、布巾を軽くぽんぽん押しあてて水気をていねいに吸い取る。水っぽいと味がぼやけるし、かといって強く拭きすぎてもいけない。洗顔後の自分の頬だと思って触れる。
葉と茎の境目でぽきんと折り、葉も茎も食べやすい大きさにちぎる。ボウルに入れてごま油を回しかけ、葉を潰さないよう気をつけながら、指を使って一枚一枚を油の膜でコーティングするように和える。独特の葉の香りに、白い純正ごま油がよく合う。
皿いっぱいに小松菜を敷き詰めたら、生のマッシュルームのスライスとすりおろしたパルミジャーノ・レッジャーノを散らす。レモンをかけ、仕上げにミルで塩を挽く。
葉脈を断たれた小松菜の濃い香り。じゃりっとした塩の舌触り。パルミジャーノの乾いた口溶け。小さく舌を刺すレモンの酸。すべてが口のなかで混ぜ合わされることで調理が完成する。手で和え、舌のうえで転がし、噛むことで生まれるおいしさ。自宅でだからこそ作れる、即興の「和えるサラダ」である。
自分の感覚を信じていなければ、こんな食べ方はできない。
そう思わせてくれるひとがいた。
出版社に勤めていた頃、サラダになにをかけるかという話題になったことがあった。他の編集者やライターたちも集まってきて、やれここの有機人参ドレッシングがおいしいとか、あの店のオリジナルを長年愛用しているだとか、ドレッシング談義は思いのほか盛り上がった。と、そのとき、
「ドレッシング、買ったことないかも」
先輩ライターが、デスクで原稿を書きながらこう答えた。
「オリーブオイルと塩胡椒と酢で作る。うちはずっとそう。お義母ちゃんもそれが好きだし」
こう言って指を動かし続ける。
先輩は配偶者や配偶者の親とも一緒に住んでいると聞いていた。「うち」と「ずっと」の二語の向こうに、安心できるねぐらや温かな食卓といった、確からしいものの形を思った。ふたりの他人と暮らしを築き、サラダをひんぱんに食べていることも、当時二十代前半だった私の目には特別に映った。
なにより、自分の舌を信じて最小限の調味料でやりくりしているさまが、身軽に感じられたのだった。あのとき抱いた憧れは、今もはっきり覚えている。