よみタイ

いつも鏡を見てる

エリート会社員からタクシー運転手に転職した男の大失敗

タクシー業界の大変動

 小泉内閣の構造改革はタクシー業の規制緩和も推進することになり、それによって、数量規制、同一地域同一運賃の廃止、参入条件の大幅な緩和が盛り込まれた改正道路運送法(=タクシー業の規制緩和)が施行されたのは2002年2月1日だった。

 利用者の数が減り続けているのに、タクシーの数が増えていく。25万台前後で推移してきた全国のハイヤー・タクシーは規制緩和を境にして急激な増加傾向を示すようになり、4年後の2006年には27万3000台を突破している。2002年の時点でハイタク事業者数が231社でタクシーの総数が2万5878台だった東京でも年を追うごとにその数が増え続けてしまうのだけれど、規制緩和を推進する人たちは「市場原理が働いてタクシー台数は適正水準に収まっていく」と事態を楽観的に捉えていた。「事業者の競争意識が強まり、それよって多様なサービスが登場してくる。利用者の利便性も高まる。営業努力を怠る事業者は淘汰され、良質な事業者が生き残っていく」のだと。

 けれど、現場の運転手たちは、理屈どうりにいくわけがないと、ハナから市場原理云々を疑っていた。大都市のなかでも特に東京では、タクシーは流し営業が基本だから客がタクシーを選んで乗るといった場面などほとんどなく、やってきた空車に手をあげる。そこには市場原理など存在しないも同然だと経験的に知っていたからだ。案の定、目論見どおりには事は進まず、規制緩和から6年後(2008年)、東京のタクシー事業者の数は121社も増えて352社に、タクシーの数は8000台も増えてしまって3万3866台にまでなっている。私が3か月間だけ籍を置いたリッチネット東京も、そのうちの1社だった。数が膨れ上がっただけでなく、参入条件が「最低保有60台」「導入車両は新車」から「10台」「中古車でも可」に緩和されたことで中古車10台くらいの新規参入事業者がいくつも登場し、「良質な事業者が生き残っていく」とは逆の状況まで現れている。

 歯止めをなくしたタクシー業界。関西地方ではリース制*1を採用する事業者が低価格タクシーを走らせたことで運賃値下げ合戦が激化、東京でもごく一部の事業者が「深夜割増なし」を実現させ、多様なサービスと言えなくもない現象は起こったけれど、同時に、それらを上まわる弊害が現れてきた。減った客を増えたタクシーが奪い合う状況のなかで、タクシーがらみの事故が増加したのだ*2。特に空車時の事故は実車時の三倍も発生し、事態のまずさを教えていた。日車営収は下がり続け、当たり前だが運転手の収入は減るいっぽうだった*3。予想された過当競争を防ぐ方策を講じることなく吞気に市場原理に委ねた国の無策と、規制緩和をいいことに、あとさき考えずに増車と新規参入を繰り返したタクシー業界。運転手がわりを食っただけでなく、タクシーがどうしても守っていかなければならない「安全」「安心」が揺らいでいく。

 これではまずい。いくらなんでもタクシーの数が多すぎる。何かしらの対策を講じなければ、と、国土交通省やタクシー業界は考え、そこで登場したのが、メディアから「規制緩和の流れに逆行する」と批判を受けるタクシー適正化・活性化法(2009年10月施行)だった。要は、業界をあげて減車に取り組むのに際し、独占禁止法には抵触しないというお墨付きである。

 国土交通省の調べによると、全国約27万台あるタクシーのうち、6分の1に当たる4万5501台が余剰で、東京のそれは8763台だという。年が明けた2010年、東京のタクシー事業者の間では20パーセントの減車・休車が必要との認識が広がり、最終的に、18パーセント、5460台の減車・休車を目指して動きだす。タクシー会社の極端な買い手市場のなかで私が就職に難儀したのは、まさにこの時期、東京のタクシー事業者が減車・休車に取り組んでいる真っ最中の求職だったのだ。

 タクシー特別措置法の効果ゆえか、リーマンショックの影がわずかばかり薄らいだせいなのか、理由が何だかよくわからないうちに、下がり続けた日車営収が2009年で下げ止まった。翌年はわずか800円ほどだったけれど上昇に転じ、さらにその翌年には4万3500円台に上がり、2012年には4万5000円台にまで戻っている。日車営収5000円の差は、月の水揚げにして6万円を超える。収入が、少なくとも月に3万円はアップするのと同じ意味だからこの違いは大きいのだけれど、現場の運転手の多くは水揚げの上昇をまるで実感できずにいた。「5000円上がったというより、5000円下がった感じ」。運転手たちからはそんな声も聞こえてきたほどだ。それでも、数字だけは、東京ハイヤー・タクシー協会が「20パーセントの減車が実現すれば実車率は38パーセントから42パーセントに上がり、日車営収は3万8749円から4万5278円に改善する」と試算したとおりになっていったのだった。山中修がタクシー運転手に転職し北光自動車交通で働きだすのは、その年の初めである。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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