2024.2.6
東京で「育ちの良い人」を擬態し続けて学んだこと──治安最悪の地方都市からでも〈育ちが良い〉は作れる
第一回では、かとうさんが生まれた「治安が悪い地方」と、そこからどのように「育ちの良さ」を擬態したのかが語られます。
あなたの「育ちの悪さ」はどこから?
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「育ちが悪い」と言われる人間はいつ自分の育ちの悪さに気がつくのだろう。
他人に箸の持ち方を指摘された瞬間だろうか。
上品に立ち振る舞うお嬢さんと初めて接した瞬間だろうか。
47万部に達したベストセラー本『「育ちがいい人」だけが知っていること』(ダイヤモンド社)で著者は育ちを「所作やふるまいを知っているかいないかだけのこと」であると定義する。
所作やふるまいを学び実践すれば、確かに他者の目には表面上はきちんと育てられたかのように映すことができるものだ。
しかしそれは擬態に過ぎず、自身が育った環境を欺くことはできない。
私の育ちについて申し上げると、とても治安の良い地域とは言えない公立中学校に通っていて、歩いて30分の学校に到着するまで何度露出狂や突然走ってきてスカートの中に手を入れる変態に遭遇したか分からない。
当時47都道府県の中でもいじめの認知件数が多かった私の地元は小学校の頃から当たり前のようにいじめが存在したし、その対象がコロコロ変化することにも慣れていた。
留守電に「学校来んな」と吹き込まれたことや修学旅行の間中どの女子からも口をきいてもらえなかったこと、携帯電話を排水溝に流されたことがある。それを知った担任の教師からは「先生も職員室で他の先生に財布を盗まれたことがあるからそんなものだ」というちんぷんかんぷんな慰めを受けた。
母が持ち帰ってくる世間話は「近所のお家の庭で高校生が灯油をかぶって焼身自殺をした」とか「同級生の子が男に手を引っ張られて無理矢理車に乗せられそうになったらしい」というようなショッキングな話も多く、かといって車で送り迎えをしてもらえるわけでもタクシー代をもらえるわけでもなかった。
中学生にして地元のスナックで酒臭い男の相手をしてる同級生がいたり、大麻を買わないかと持ちかけてくる先輩がいた。
学校でリップやキーホルダーを盗まれたりしたら「持ってきた方が悪い」という雰囲気で、頻繁に誰かの物が消えていた。
そんな環境で思春期を迎えた。
家庭環境は物心がつく前から悪かったが、それを悪いと認識するまでに時間を要した。
母は何かと理由をつけて私に手を上げ、父は毎晩のように酒を飲んで深夜に帰宅し私と関わるのを避けた。
父方の祖父と祖母は父が幼い頃に離婚している。祖父は再婚した相手との間に子供を作り、癌で亡くなった。父がお酒を飲み過ぎたとき「父親がどんなものかわからない」と言われたことがある。私も未だに「父親」がよくわからないままだ。
幼少期は父と母が罵り合う声や時折聞こえる物音を仲裁していたが、思春期になってからは大音量のロックミュージックを流したヘッドホンで耳を塞ぐことで凌いだ。
高校一年生になるとすぐにプチ家出を繰り返し高校を単位ギリギリで卒業した後、そのまま本格的に家出をして上京しそのまま12年が経過して今に至る。
それらの境遇を「人生はそういうもの」だと諦めていた。
だが上京してからというもの育ちが良い人々との出会いは多く、今まで自分がいた場所との大きな格差を知った。
東京で生きていくのならこのままの私では淘汰されるだろう。
そう思った私は、彼らに擬態することを覚えたのだ。
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