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東京で「育ちの良い人」を擬態し続けて学んだこと──治安最悪の地方都市からでも〈育ちが良い〉は作れる

「大した女でもないくせに」

赤坂の大きな土地に実家を持つ7歳年上のお姉さんからは、ホテルのプールで使ったタオルは綺麗に畳んで一箇所にまとめる気遣いや自宅でも器や花を愛でる心の余韻を教わった。
数冊のマナー本からは手土産の渡し方、食事の作法、お店や人の家で水回りを使ったら軽く掃除をしてから出ること、化粧や料理に「お」を付けて話すことを学んだ。
育ちのいい人が読むことはないだろう『「育ちがいい人」だけが知っていること』が出版されたのは2020年だが、私が学び実践してきたことが丁寧にまとめられた内容の本であった。

以前は正しく持てなかったお箸の持ち方を矯正し、小さな豆もお箸で掴めるようになった。
ガニ股だった歩き方はつま先から地面につける練習をすることで、高いヒールを履いていても静かに歩けるようになった。
口をつけて飲んでいた1.5リットルのペットボトルの水は一人でもグラスに注いで飲むようになった。
座敷や玄関で靴を脱いだら他の人の靴まで向きを直すようになった。

どれも最初は面倒なことも継続することで慣れるものだ。そうして成功体験を増やして自信を持つことで、佇まいや周囲からの目も変化した。

男性と二人で食事をしている最中に

「食器の持ち方に育ちのよさが出ちゃってますよ」

と指摘を受け、

編集者からはこの企画の話の最中に

「なんだかんだ言って本当は育ちいいですよね?」

と曇りのない目で尋ねられた。  

「育ちが良い」は作れるのだ。

服装はペラペラのポリエステル生地から少しずつファミリーセールで質の良いものを買えるようになり、これまでの自分を脱ぎ捨てた。
正しい姿勢を保つためにトレーニングを続けて数年が経ち顔を上げると、鏡には洗練され都会的な外見になった私が映っていた。

両親もできない正しいお箸の持ち方にも慣れて、有名な割烹の大将にも物怖じしなくなった頃、「理想の彼女」と猛アプローチを受けて広尾に実家を持つ男性と交際する機会が訪れた。

週末は八景島シーパラダイスまでドライブしたり彼の家族が所有する葉山の別荘で過ごし、私が友達と旅行に行くときでも空港まで車を出してくれた。
そんなジェントル度満点の彼は、私の実家(現在関係は修復している)に一緒に帰省したことをきっかけに態度が豹変する。

両親は彼をもてなすため車で40分の繁華街近くにあるカジュアルフレンチにも連れて行ってくれた。
しかし幼い頃から都内の真ん中の飲食店で食事をしてきた彼にとっては味気ないものだっただろう。私にとっても外食というよりは伊勢丹の地下で買う惣菜のような味に感じた。

大袈裟に「おいしい」と料理の感想を繰り返す両親を見て「彼と東京でデートするようなお店に両親は行ったことがないのだろう」という切なさと、彼に対する少しの羞恥心が芽生えた。

東京に戻って間も無く、絶対に私に財布を出させなかった彼が美術館のチケット代を請求するようになり、食事のときはスマホを触ることが多くなった。
夜から翌日の昼まで連絡の取れない日がぽつぽつと増えたのは、それまでは考えられないことだった。

その後、彼とケンカをしたとき彼が放った

「大した女でもないくせに」

という言葉が今も胸に残っている。

知人のラウンジ嬢が言っていた

「あの客お金持ってるから店外したのに家行ったらショボくて思ってたのと違った、まじ冷めた」

という話を思い出した。

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かとうゆうか

1993年生まれ。マーダーミステリー作家。シナリオを担当したマーダーミステリーに「償いのベストセラー」「無秩序あるいは冒涜的な嵐」「ザ キャリーオン ショウ」などがある。共著に「本当に欲しかったものは、もう Twitter文学アンソロジー」。

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