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推しのスキャンダルに直面して、どう生きていけばいいのか?【こんな質問が来る 第11回】

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「これからどうやって生きていけばいいですか」という問いだけが残される

 では、いくら手を伸ばしても届かないような別世界の推しならばどうなのだろうか。

 ずいぶん昔のことになるが、友人がこんなことを言っていた。自分が好きなキャラクターが使用している(という設定)の市販の香水を眠る前に寝具にひとふりすることがある。「……あ、来てたのね。それなら起こしてくれたらよかったのに」と思いながら朝を迎えることができるから、と。まだ推しという言葉も一般的でなかった時代だったが、別世界の人を思いながら暮らす、繊細で、密やかで、儀式的な時間に感心した記憶がある。

 しかし、その後、ふと気づけば、いつからか「推しの香水」が公式からグッズ化されているのをしばしば見かけるようになった。これまで非常に個人的だったり偶発的だったりした、届かないはずの遠くの手が触れ合うような感触。それが白日の下に引き出され、切り刻まれるように次々と商品化されていくのを、われわれはいくつも目撃することになる。

 配信の際に名前と金額が読み上げられるスパチャなどがもっとも象徴的な例だろう。届く言葉の長さも、その言葉が消えずに残る時間も、金額によってあらかじめ決められている。たった百円では推しに見つけてもらえるかどうかさえ分からない。もっと課金しないと……。別世界の推しに手が届く一瞬の奇跡は、これまでになく多様な形の商品として金銭で売買されるようになった。

 この議論において、なかなか厄介だなと思うのが、誰かを推すにあたって、お金をかけているかどうかの意味がかなり変わってきたということである。

 お金をかけて誰かの愛を勝ち取ることはこれまで「不純」、「ズルい」とされてきた愛の方法であった。しかし、これが推しについては反転するのである。私はそんなにお金を使えないから好きだと言う自信がない、好きなのに課金できなくて申し訳ない……そうした、やるせない声もよく聞くようになった。推しも愛のひとつなのかもしれないが、そこでは金を払えない人間は愛する資格がないとでもいったような倫理がすでに根付きはじめているように思う。

 こうして、誰かを推すために必要な手ごたえは、ほとんどすべて商品を介して提供されるようになった。距離を埋める工夫も、声を届けることも、どれだけ好きかを示す物差しも。

 しかし、この商品ラインナップには、ある重大な欠落がある。推す者がみんないつか迎える、「その日」のこと、とくに傷心について、である。

 推しに出会ったのなら、誰にでもその日はやってくる。しかし、推しの卒業公演や引退公演を見とどけることができる者は幸運である。物語は終わるが、夢が壊れるわけではない。その夢は壊れないまま、丁寧に畳まれ、そっと心の大事なところに仕舞われるだろう。推しが見せてくれた夢のフィナーレを高画質で閉じ込めたキラキラ輝く限定生産の「円盤」とともに。

 問題はそんな幸運に恵まれなかった人たちである。熱愛報道、結婚報告、不祥事。それをきっかけに起きることは推しがこの世界から消えることよりむしろ、推しの皮を破って、その中から生々しい人間が出てくることである。それが「裏切り」と呼ばれる場合もある。いずれにせよ、むき出しになった生身の肉体は、もはや推しという夢を載せることのできる器ではない。

 そして、ただ、「これからどうやって生きていけばいいですか」という問いだけが残される。

 私たちがこれまで愛と呼んでいたものとちがって、商品として提供される推しの物語に傷心は想定されていない。しかし、それでも担降りという傷心は繰り返しやってくる。推しという愛の形の中でその痛みだけは誰かが仕組んだ商品ではない。それだけは、推しの産業構造からこぼれ落ちた、あなただけの本物の経験といえるかもしれない。

「こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった」

 あの日、そう書いた彼は、花や草に生まれ変わることができただろうか。

 次回連載最終回は9/23(水)公開予定です。

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中井治郎

(なかい・じろう)
1977年、大阪府生まれ。社会学者。龍谷大学社会学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。著書に『パンクする京都』『観光は滅びない』『日本のふしぎな夫婦同姓』がある。

X(旧Twitter)@jiro6663

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