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信仰心の強さに影響を与える遺伝子? どうしてヒトは「宗教」を持つように進化したのか

信仰心に影響する「D4DR遺伝子」

人の心理や行動は遺伝子と環境の両方の影響を受けることがこれまでの研究で分っています。遺伝子と環境が相互作用することもあります。宗教の信仰心に関する遺伝子で、実際にそのような例が報告されています。D4DR遺伝子という好奇心の強さに関連することで知られている遺伝子が、特定の条件のもとでは信仰心を促進することが報告されているのです。

D4DR遺伝子のある特定の変異体をもつ人が、宗教への信仰心が促進されやすい生活環境(例:親や知人が宗教を信仰している)で育てられると、宗教への信仰心が実際に強くなりましたが、D4DR遺伝子の別のタイプの変異体を持つ人はそうではありませんでした(注1)。この結果は、信仰心に関して遺伝子と環境が相互作用していることを示しています。たとえ生活環境が共通していても、遺伝子が異なると信仰心の強さも異なるわけです。D4DR遺伝子のタイプと生活環境の両方の条件が満たされた場合に信仰心が促進されると考えられます。

D4DR遺伝子以外にも信仰心の強さに関係する遺伝子はおそらく存在するでしょう。他の多くの性質と同じように、信仰心のような宗教的な性質についても、影響を与える遺伝子はいくつも存在していて、それらの遺伝子の働きに環境の影響も加わることにより、個人の宗教的性質が作られると考えられます。

双子研究を実施することで、遺伝子を具体的に特定することはできなくても、ある性質がどの程度の割合で遺伝の影響を受けているのかを数値化することができます。アメリカで行われた大規模な双子研究により、個人の宗教に対する意識は40%以上の割合で遺伝の影響を受けていることが報告されています(注2)。

心の理論と他者としての神

宗教に関する性質にも遺伝子が影響するということは、それらが自然選択の対象となる可能性があります。ある環境において神を信じるという性質が適応的であるならば、自然選択の働きにより、神を信じるという性質が集団中で頻度を増やすだろうと予想されます。これまでのコラムでも度々説明してきましたが、ある性質が適応的であるというのは、その性質を持つことにより、個体の生存率や繁殖率が高くなるということです。

ここでは、神を信じることは適応的であるとするジェシー・ベリング(オタゴ大学サイエンスコミュニケーションセンター所長)の説について紹介します(注3)。 ベリングの説の要点は以下のようになります。
・神や霊などの超自然的行為者は錯覚である
・神は錯覚ではあるが、神の存在を信じることは適応的である(生存や繁殖に有利)
・そのような錯覚は「心の理論」によってもたらされた

まずは、ベリングの説の前提となっている心の理論について説明します。心の理論とは、他者の心の状態を推測したり読み取ったりする能力のことです。心の状態とは、知識、感情、目的、意図、欲求などです。他者にも心があることを理解している個体は心の理論を持つと言われます。心の理論は、他者に共感したり、他者の視点に立って物事を考えるうえでの土台となる能力と考えられます。

心の理論は、もともとは1978年にチンパンジー研究者が提唱した概念で、「ヒト以外の動物に心はあるか?」という根本的な問いに取り組むなかで生み出されたものです。この問いを直接的に検証することは簡単ではありません。そこで、実験的に検証可能となるように、問いのかたちを「ヒト以外にも心の理論を持つ動物は存在するか?」というものに変換したのです。これにより、心の理論は進化心理学の重要なテーマとして注目され、盛んに研究されることになります。ベリングは先行研究の結果に基づいて、ヒト以外の動物のほとんどは心の理論を持っておらず(ただし、チンパンジーは低度の心の理論を持っている可能性はある)、ヒトは心の理論を高度に発達させた唯一の動物であると主張しています。 

心の理論を高度に発達させたことで、ヒトは自分が他者からどう思われているかということを強く意識するようになりました。他人からの評価、他人の目を気にするようになったということです。ヒトは言語という非常に優れたコミュニケーション手段を発達させたため、不都合な情報が誰かに知られると、その情報を知った人が言語を用いて周囲に情報を拡散してしまい、不都合な情報が集団全体へと広まっていくという状況が生じました。狩猟採集生活を営んでいたかつての人類は、小集団で暮らしていたため、悪い評判のターゲットにされてしまうと、周囲から疎んじられ、繁殖が難しくなっただろうと考えられます。悪い評判を避けるために、反社会的行為は抑制しなければなりません。誰も見ていないと楽観して、反社会的行為を行っている場面を実はこっそりと誰かに見られていたとなると、悪い評判が広まってしまいます。自分は常に他者に見られていると仮定することは、こうした危機を避けるうえで有効です。

近年の心理学実験の結果からも、ヒトは自分が観察されていることを意識した状況では、実際に利他的に行動することが示されています。目が描かれた紙が張ってあるだけで、ヒトは良い行動を選択する傾向があります。いつでも自分を見ている絶対的他者としての超自然的行為者(神やそれに類似したもの)が存在すると仮定することは、誰も見ていないだろうという楽観的な考えを打ち消し、自身の反社会的行動を抑制する効果を持つと期待できます(実際に抑制効果を持つという多くの研究結果が得られています)。そのため、神やそれに似た存在を信じるという性質は、その性質を持つ個体の集団内での評判の低下を防止し、生存や繁殖の可能性を高く保つことに寄与したと考えられます。こうして、神やそれに似た存在を信じるという性質は、自然選択によって集団中に広まり、一般化したというのがベリングの主張です。

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小松正

こまつ・ただし
1967年北海道生まれ。北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004 年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主) として活動。専門は生態学、進化生物学、データサイエンス。
著書に『いじめは生存戦略だった!? ~進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』『情報社会のソーシャルデザイン 情報社会学概論II』『社会はヒトの感情で進化する』などがある。

Twitter @Tadashi_Komatsu

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