2023.2.9
差別心や嫌悪感を生み出す〈行動免疫システム〉とは何か──生物学の知見で「差別」に対抗する
内集団ひいき
一般にヒトは、自分と同じ集団(内集団)のメンバーには好意的になり、自分の所属しない集団(外集団)のメンバーにはしばしば敵対的になります。この現象は内集団ひいき、あるいは内集団バイアスと呼ばれています。例えば、実験用に集められた参加者をその場で特に意味のない基準(絵の好みなど)により二つの集団に分けたというだけでも、ヒトは外集団メンバーよりも内集団メンバーに対して、より多くの報酬を分配しようとすることが確認されています。
このような内集団ひいきは、おもに社会心理学の分野で研究されてきましたが、近年はそこに進化の観点を導入した研究が盛んになっています。進化の観点から内集団ひいきを説明する仮説を紹介しましょう。この仮説は、内集団ひいきを行う個体は、その行動を見ていた他の内集団メンバーから良い評判を得ることを通じて、集団内で有利な立場を確保でき、結果として、適応度(生存率と繁殖率)が高くなるというもので、「閉ざされた一般互酬仮説」と呼ばれています(注5)。仲間を助けるという社会規範を守っているかどうかを内集団メンバーが互いに見ている状況では、自分が見られていることに敏感な個体は積極的に内集団ひいきを行うだろうと予想されます。「情けは人の為ならず」という諺で表されるように、情けをかけた結果は他者からの評価というかたちで自分に帰ってきます。その場では直接的な見返りがないにもかかわらず善行をするのは、巡り巡って後に見返りを期待できるからだ、というわけです。ヒトを対象とした進化の研究において、評判に基づいた間接的な互恵性は、社会を成立させるうえで重要な役割を担うものとして重要視されています。
内集団ひいきを行う個体に、外集団メンバーを特に冷遇しているという意識はなかったとしても、内集団メンバーと外集団メンバーとの間で現実に待遇に格差があるのであれば、外集団メンバーは自分が差別されていると感じても不思議ではないでしょう。内集団メンバーが外集団メンバーを積極的に攻撃したわけではなくても、内集団ひいきは結果として、集団間に葛藤や対立を生み出すことになりそうです。
自然主義の誤謬に注意
差別につながりかねない内集団ひいきがいつの時代でもどこの地域でもヒトに一般的に観察されるという事実を述べると、「やはり差別は当たり前で自然なことなんだ。仕方がない。多少の差別はあってもよいのではないか」という反応を示す人がいます。今日ではこうした反応は「自然主義の誤謬」と呼ばれ、特に進化生物学の研究者の間では強く否定されています。
自然主義の誤謬とは、「~である」という説明(事実の記述)から、「~すべきである」という価値観を導き出すという誤りです(注6)。事実を記述するさいに「〜の状態が自然である」という表現を用いることはよくあります。しかしながら「自然である」と「自然だからそうすべきである」との間には必然的な結びつきはありません。「~である」という事実から「~すべきである」という価値を導くことはできません。「なぜ差別が起こるのか?」という問いを立てて、差別発生の要因やメカニズムを説明することは、「差別をすべき」と主張することとはまったく別です。差別発生の要因やメカニズムを説明することは、差別を肯定することにも否定することにもなりません。
自然主義の誤謬についてこのような説明を聞かされると、「その通り、事実と価値は別のものだ。何を当たり前のこと言っているのだろう」と思う人もいることでしょう。しかし、実際の会話や議論の場では、自然主義の誤謬をおかしてしまう人はめずらしくありません。ヒトの差別心や攻撃性について遺伝子が関係している可能性を論じる研究に対して、「そんなことを認めてはいけない。差別や暴力が肯定されてしまう」という趣旨の発言をする人はその例です。こうした発言はまさに自然主義の誤謬の典型ですが、インターネットで検索すれば、実例が簡単に見つかります。ヒトの差別心や暴力性についてどのような事実が存在しようとも、そこから差別や暴力を肯定する価値観を導くことはできません。
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