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差別心や嫌悪感を生み出す〈行動免疫システム〉とは何か──生物学の知見で「差別」に対抗する

差別対策に生物学の観点を

この数十年の間に世界中の人々の遺伝子が大きく変化した可能性はほぼゼロですから、前述の人々の解放価値の変化は環境の影響によるものと推察できます。知識インデックスとして示されたような新たな環境を経験したことにより、人々の価値観が変化したわけです。もっとも、差別がいくら減ったとはいえども、ゼロになったわけではありません。こうした望ましい変化をより一層推進したいと考える人も多いでしょう。病気のメカニズムの解明が、有効な治療法の開発につながることは、皆さん理解していると思います。差別についても同様のことが期待できます。どのような条件下で差別が強まるのかあるいは弱まるのか、そのメカニズムを分析し、予測を行うことは、差別を減少させる方法の開発に役立つはずです。前述のように、差別につながりかねない内集団ひいきや行動免疫システムに進化的な基盤があるのであれば、差別に関する分析や予測に進化の観点を導入することは有効と考えられます。

例えば、差別心を低減させるために有効な働きかけ(与える知識や教育方法)が、個人の資質(含む遺伝子)によって異なる可能性があります。実際に、教育分野では、学習者の適性と教育方法とに交互作用が存在することが以前から知られていて、適性処遇交互作用と呼ばれています。例えば、対人積極性が高い生徒には先生が直接教えることが効果的だが、対人積極性が低い生徒の場合には映像授業方式のほうが効果的であるという研究結果があります(注10)。こうしたことから、あたかも患者個人の体質に応じて治療法を選択するオーダーメイド医療のように、差別心低減を目的とした場合にも個人の資質に応じて有効な方法を選択することが考えられるでしょう。こうした現象は、生物学の分野では遺伝環境相互作用と呼ばれているものに相当します。遺伝環境相互作用とは、同じ環境におかれても個体の遺伝子のタイプによって結果(表現型)が異なることです。その結果は、遺伝のみの作用ではなく、また環境のみの作用でもなく、遺伝と環境の双方の相互作用によるものとしか言いようがありません。遺伝環境相互作用は今日の遺伝学・生態学・進化生物学の一大テーマとなっており、そのパターンやメカニズムについて精力的に研究がなされています。こうした観点からも、差別のような社会課題の解決に生物学が寄与できる可能性が見えてきます。自然主義の誤謬について十分に注意喚起しながら、生物学の知見を有効に活用したいところです。

 連載第5回は2023年3月9日公開予定です。

このコラムの著者である小松さん協力のもと、役者の米澤成美さんが作成したコラボ動画も公開中です!

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小松正

こまつ・ただし
1967年北海道生まれ。北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004 年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主) として活動。専門は生態学、進化生物学、データサイエンス。
著書に『いじめは生存戦略だった!? ~進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』『情報社会のソーシャルデザイン 情報社会学概論II』『社会はヒトの感情で進化する』などがある。

Twitter @Tadashi_Komatsu

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