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ブンゴウ泣きたい夜しかない。~文豪たちのなんだかおかしい人生劇場
「文豪」というと皆さんはどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。
いつも気難しそうな顔をしてて、メガネかけてヒゲなんか生やしてて、伊豆あたりの温泉旅館の一室で吸い殻山盛りの灰皿を脇目に、難しい小説なんか書いてる…。そんなイメージを持たれがちな彼らですが、実は現代人とたいして変わらないような、実に人間臭い面もたくさんあるのです。

今回は、白樺派の中心人物・有島武郎の心中事件をご紹介いたします。人妻だった波多野秋子との愛の果てに、いかにして二人は心中を選んだのでしょうか?

【文豪と心中】愛する女性をモノ扱いすることは絶対に許せない──有島武郎と波多野秋子、不倫愛の壮絶な最期

世間を大きく騒がせた人気作家・有島武郎の心中事件

有島武郎(ありしま・たけお)
1878年3月4日 – 1923年6月9日
小説家。東京生まれ。学習院中等科卒業後、北海道の札幌農学校に進学し、キリスト教に入信する。1903年に渡米しハーバード大学で歴史・経済学を学ぶ。帰国後、武者小路実篤や志賀直哉らと同人「白樺」に参加する。代表作は『カインの末裔』『或る女』『生れ出づる悩み』など。大正12年6月9日、軽井沢で記者の波多野秋子と心中。

「軽井沢の別荘で有島武郎氏心中 愛人たる若い女性と」

大正12年7月8日朝日新聞の朝刊にて、6月から行方不明となっていた作家、有島武郎が軽井沢の別荘で心中していたことが報じられました。第一発見者はこの別荘を管理していた三笠ホテルの従業員で(三笠ホテルの支配人であるとする説もある)、別荘の清掃の際に一階の応接間で男女の遺体を発見し警察に通報。検視の結果6月中旬ごろ縊死したものと断定。発見まで一ヶ月ちかく経っていた事もあって遺体は腐乱していましたが、懐にあった遺書によって男の遺体が有島武郎だとわかり、心中相手は波多野秋子という女性であることが判明しました。

有島武郎といえば『カインの末裔』『生れ出づる悩み』『或る女』などで知られる人気作家であり、またその甘いマスクと清廉潔白なイメージもあって女性読者から絶大な支持を得ていた作家でした。大蔵官僚である父を持ち、学習院出身、ハーバード大学にも留学経験があり英語も堪能。ヨーロッパ各地を歴訪し、帰国後は大学教授になり、弟たちは才能豊かな有島生馬と里見弴です。小説を書けばヒットし、志賀直哉や武者小路実篤らと共に白樺派の中心人物としても活躍しました。まさに絵に描いたような貴公子と言っても過言ではない有島武郎の死は、当時の新聞で大きく報じられ、また心中相手の波多野秋子が人妻だったこともあって、報道合戦は一気に過熱していきました。

心中する前年の有島武郎(所蔵/国立国会図書館)
心中する前年の有島武郎(所蔵/国立国会図書館)

英才教育を受けたキャリアウーマン・波多野秋子

有島の心中相手、波多野秋子は当時の記事によると実業家の林謙吉郞と新橋の芸妓の間に生まれた私生児であるとされています。娘を自分と同じ芸妓にしたくないと考えた母は、秋子を実践女学校に入学させます。その卒業論文のテーマにルターの宗教改革を選んだ秋子が参考資料を探していたところ、友人に紹介されたのが波多野春房という男でした。この波多野春房はアメリカ留学経験があり、英語塾を開いている男でしたが、あろうことか妻のある身でありながら秋子に手を出してしまいます。秋子は18歳、春房は30を過ぎる歳でした。春房の妻も元々は英語塾の生徒だったといいますから、そういう男なのでしょう。春房は妻と離婚し、翌年秋子と結婚することになります。

春房は秋子を自分にふさわしい妻にするべく英才教育を施します。秋子もまた私生児であることにコンプレックスを抱いており、上昇志向の強い女性でした。春房の援助で女子学院の英文専門科を修了し、青山女学院でも英語を学びます。卒業後は中央公論社に入社して「婦人公論」の編集者となりました。秋子は春房の思い描くキャリアウーマンに成長したのです。

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進士素丸

しんじ・すまる●1976年2月生まれ。ライター・文筆家。「文豪どうかしてる逸話集」(KADOKAWA)著者。文豪や歴史にまつわるツイートも話題に。
雑誌・ウェブ媒体などに寄稿しつつ、映像制作やデザインなども手掛ける。

Twitter●@shinjisumaru

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