2022.7.28
〝愛してる〟は使わない? 柴田勝家に訪れた寂しい時間
前回、推しのきょうちゃんと仲直りすることができました。
今回は、これまで柴田さんを助けてくれた、かおりこちゃんの卒業のエピソードです。
織田信長の全盛期はいつか?
平成二十八年(2016年)八月、柴田勝家、秋葉原に帰還。
「征夷大将軍様のお成り~」
店に入ればメイドさんの明るい声が響く。一般的なメイド喫茶なら「ご主人様のご帰宅です」となるところだが、さすが戦国といったところだ。
「勝家だ! 勝家さんが来たぞ!」
席に通されるまでの間、先に来ていた常連たちが声を上げる。皆、ワシの友人たちでもある。彼らに手を振りつつ、まさしく凱旋の気持ちで進んでいく。
と、これはエッセイの第一回冒頭。時は巡り、いよいよ最初に描いた時期に追いついたのだ。
第一回では書いていなかったが、直前には推しのメイドたる朝倉きょうちゃんと喧嘩していたし、仲直りもしていたのだ。ついでサクッと「征夷大将軍」にもなっていた。個人的にはその前の「大名」になる方が大事だったので(前回書いたように、大名になると推しのメイドさんと特別なチェキを撮れるため)、特に思い出になるエピソードはない。
とはいえ、この2016年の夏から秋にかけての数ヶ月が一番楽しかったと思う。何事も中堅の頃が楽しいものだ。自分を導いてくれる先輩がいて、苦楽を共にした同期がいて、慕ってくれる後輩がいる。たとえば我が敵である秀吉だって、木下藤吉郎の頃は先行きが不安だったろうし、太閤豊臣になった後には過ちを正してくれる人がいなかったのだ。ヤツは羽柴秀吉でいた頃こそ最も輝いていたはずだ。敵ながら褒めといてやろう。
ワシにとっても似たような時期で、戦国メイド喫茶に遊びに行けば多くの友人にも会えるし、推しの朝倉きょうちゃんとも関係は良好だ。他のメイドさんたちだって、たとえば一話にも登場した新人の豊臣めめちゃんや、他にも井伊直政の娘の井伊のんちゃんなど仲良く話せる人が多くいた。
そうした中でも、真田かおりこちゃんはワシの心の支えとなっていた。
「あ、勝家さん……、じゃなかった。かっちゃん」
その日も、かおりこちゃんはワシを見かけて笑顔を向けてくれる。呼び方だって、いつの間にか親しげなものになった。こういう些細な変化が嬉しいのだ。
「最近ね、メイド喫茶のこと色々と考えててね」
「うむ、聞こう聞こう」
真面目なかおりこちゃんが、腕組みをしながらメイド喫茶での接客について熱く語ってくれる。ワシもそれを聞き、同意したり、時に反論して議論を深めていく。
「メイドさんもお客さんも、よく〝好き〟とか〝愛してる〟って言うよね。私、それでいいのかな、って思ってて。やっぱり本心でない言葉って使っちゃいけないかな、って」
「うむ、確かにな。まぁ、ワシは〝好き〟はいつでも使うが〝愛してる〟って言葉はメイドさんに言わないようにしてるな」
「だよね、私も……、〝愛してる〟は使わないようにしてる」
踏み込んで人と話すと喧嘩になるから、普段はワシも適当な話しかしない。しかし彼女と語り合う時だけは真面目に話すことができる。ワシにとって大事な時間だった。
「今日も楽しかった、ありがとう。じゃあ、また!」
そして、その日もワシは大満足で戦国メイド喫茶を去る時間になった。かおりこちゃんが時空転送装置(エレベーター)の前まで見送りに来てくれる。ワシはエレベーターに乗り込んで、振り返りつつ彼女に手を振った。
「うん、じゃあまた来てね、かっちゃん。あ……」
「どうかした?」
「えっと、かっちゃん。〝愛してる〟……よ!」
その言葉を最後にエレベーターの扉が閉まる。唐突な言葉にワシは面食らいながらも、次第に嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
「なんでい、りこちゃんも〝愛してる〟って使ってるじゃねぇか」
急な江戸っ子で恥ずかしさを紛らわせ、ワシは足取り軽く夜の秋葉原を歩いていく。
そのすぐ後のことだ。戦国メイド喫茶の店のツイッターには、こんな文言が並んでいた。
『真田かおりこちゃんの卒業が決まりました』
記事が続きます